2016冬アニメ
- 2016/03/26
- 02:06
いやあまいっちんぐまいっちんぐっていうか
シンセサイザーの自作は著しく面白い趣味ですよ☆皆もやるとよい。
ただ欠点は、とにかく時間が掛かること。まあ私の場合はそうだという話ですが。
この記事が、今年になってからの初投稿なんですねえ。。。ちょっと自分でもびっくり。前回の記事が去年の12/15で、それから3カ月もごぶさたでしたが、この間ずっと、余暇の時間のほぼ全てをシンセ作りに費やしてました。
停滞してるんじゃないんですよ。ちょっとずつしか進まんのです。去年の暮れの時点での色々な不具合が概ね解消したのが、たしか二月頃。不具合を直しつつ新機能を盛り込んだりもしたものだから、余計に時間がかかった。でも概ね快調に鳴らせるようになった。となると、ますます面白くなるわけです。
作業がひと段落ついたらブログを書こうと思ってたんですけど、それがなかなか、作ってみたいものや試してみたい事が大量に行列待ちしてる状態だもんで、良い区切りが生まれない現状。作文するより工作する方がぜんぜん面白いからそっち優先になりますわねやっぱ。
なんだけどアニメの冬クールが今週までなんで、ここはやはりどうしても記事を一つ書かねば。冬クールがというより、私的にはこれ↓
ばくおん!! -TVアニメ公式サイト
今年のアニメの最優先事項はこの作品。今年はもうこれだけ見れればいいやくらいの勢い。
ていうか、原作コミックの方を先に好きになって、それがアニメ化されるって、自分にとっては初の事なのですよ。
*)だぶるじぇい YouTube検索←これはノーカンよろ。ショートアニメとすら呼べない黒歴史未満。
ばくおん!!のアニメ化情報、数か月かけて小出しされてました。ずっとヲチしてましたよ。じわじわくるの、心臓に悪いですわこれ。胸が苦しい。こんな気持ち初めて。制作会社と主要スタッフが発表された時点で一安心できましたけど。現状での期待度は;
無難路線だなこりゃ+α
つっても、既に原作を舐め回すように読んでしまった私が、このアニメに対して公正かつ客観的な判断など出来ませんし、でもやっぱりとても楽しみですねえ。そうなっちゃうものなんですねえ。冷静になんてしてられません。
それで、この「ばくおん!!」が放映される春クールに向け体力温存するためw、冬クールは見るの少な目にしようと思ってたのですよ。というかシンセ作りは目と脳みそへの負荷が大きいから、アニメを見るのがあまり気分転換になってくれない。というか、興味の重心がシンセ自作に傾いてるのだから、その分アニメへの関心は薄らぎますわね当然。
なのに★今クールはいつもより若干多めの本数を見てしまった。ばかだなあおれ。余暇の時間のほぼ全てをシンセ作りに費やしてるのだが、あくまでも「ほぼ」全てなのだ100%ではないのだ。ともかくいつもの通り、見た作品を一覧にして、気持ちを〆て春クールに臨むぜ、ぶおんぶおおおおん♪
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ハルチカ〜ハルタとチカは青春する〜
石膏ボーイズ
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無彩限のファントム・ワールド
蒼の彼方のフォーリズム
この男子、魔法がお仕事です。
魔法少女なんてもういいですから
だがしかし
僕だけがいない街
紅殻のパンドラ -GHOST URN-
SUSHI POLICE
彼女と彼女の猫 -Everything Flows-
旅街レイトショー
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昭和元禄落語心中
この素晴らしい世界に祝福を!
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突出して面白いのはハルチカと石ボ。あとは「案外悪くない」とか「最初すごく良かったのに急降下」とか「面白いに違いないんだけど、でっていう」とかとか。
全体的に、どれもそれなりに面白いという点では平均点は高いんだけど、なんかぱっとしないクールだったかな。
でも「ハルチカ」はすごく良いと思います。浅味で地味な作品、だよね?基本、ずっと日常芝居だし。だけどそれを描く演出と作画が、簡潔だけど手抜きがない。地道で根気のいる仕事っぷりではなかろうか。それで1クール経ってみると、明確なメッセージが一つ浮かび上がってくる。
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今クール、↓これやってたんですね。
Dimension W -TVアニメ公式サイト
監督が俺修羅の亀井氏でした、っていうのに気付かず見逃してしまいましたよ。いや事前に↑のサイトは見たのだけど、今どき珍しい畳屋の職人がルパンを気取ってる風情。あっさりぱすですた。これ大失敗。早急に再放送されることを切に希望いたします。
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クール半ばまで見たのが2作品ありますので短評を。
ブブキ・ブランキ -TVアニメ公式サイト
エヴァ風味の合体ロボ。なんと申してよいものやら。ロボの巨大感がけっこういけてたという点で、作画は良かった。なので最後まで見れたら良かったんだけど、台本が陳腐すぎて8話で断念。それでも8話までは付き合ったのだよ。
ラクエンロジック -TVアニメ公式サイト
動画工房は作画が良いからなるたけ見たいのだけど、こないだのプラメモも
プラスティック・メモリーズ -TVアニメ公式サイト
今度のも、早々に離脱しました。作監はそれぞれ別の人だけど、色彩設計はどちらも石黒けい氏で、プラメモの時はキー色のピンク、というよりやや蛍光っぽいカーマインが、とても良いと思った。ラクロジはそれが拡張し、商品縛りの緑ともよくはまってた。こういうのすごく良いと思うのだけど、台本が残念すぎて云々
冒頭のショート・アニメ、ちゅどーん☆のコーナーだけは視聴継続してるのですよw
私は(棒)を支持します。悪い意味じゃないよ断じてだ。こっちの配色もすごく良いし。
とっても今更なんですが、艦これアニメもこのノリで良かったのかもね。艦これカドゲもあるみたいだし、今からでも遅くないから再チャレンジしてみてはいかがでしょうか。
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さて、ここから先は各作品ごとの感想・短評なのですが、全て、2016年の6月以降に書いたものです。つまり冬クールの次の春クールを見終えてからのものです。
当初、冬クールの個別の感想文は書かないつもりでしたが、春のを書いてるうちに、冬のも書いた方が都合よく思われてきて。なので、冬クールの感想文だけど春の作品と比べて云々してる箇所が少し混ざってます。
ラクロジへの短評までは3/26に書いたままですが、14作品の並び順だけは変えてます。あとからじわじわくる系ってのはあるもので、3カ月だけでも少し時間を置くと、けっこう印象って変わるものですねえ。
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この素晴らしい世界に祝福を!
この素晴らしい世界に祝福を! -TVアニメ公式サイト
2話までは面白かったです。ギャグが、かなりキレてた。2話までは。
今季の一番はこれ!もう「このすば」さえ見れれば他のはいらない、とさえ思った。
って、なんかいつもそんなこと言ってますが。
3話から急に、つまらなくなった。まあきっちり3話からって事じゃなかろうけど、あとから振り返っての大まかな区切り目としては、3話。3話から別の作品になったのかと思うくらいの変化っぷり。笑いを作るのじゃなく、「おふざけ」をやってるべえの残念な、いやむしろアニメではべつにこんなのありがちかなーな凡作へ。
最初が良かったから中盤以降に回復してくれるかもとも思ったけど、ぜんぜんでした。
まあこのテの異世界ものは他にも沢山あるし、もともと私はアニメに笑いは求めてないし。
景観はよく作画されてたと思うのです。のんびり平和な、ごく小規模な地方都市だけど、そよ風に乗って堆肥の臭いがどこからともなく漂ってくるような、まあかなり田舎。という雰囲気がよく出てたと思う。その点も含めて、もったいなかったな、この作品。
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昭和元禄落語心中
昭和元禄落語心中 -TVアニメ公式サイト
私は小学生の頃、落語は好きだったです。テレビで見るだけですが。まあ昔は娯楽の種類が少なかったので。
それと相撲。あとは永谷園のお茶漬けのオマケの浮世絵カードを集めて。この3つが自分にとっての、お江戸な趣味の入口だったですね。演芸番組を見てると三味線の音も聴けますし。
内海桂子 好江 -Youtube検索
三味線漫談の人たちって、なにやらベラベラ喋りながらでも左手でひょひょいとチューニングを直し、そのまま曲に移ってく。小学生の終わり頃にギターを始めたばかりの自分にとっては、それがやたらカッコよく思えてですよ。
「弦楽器とは、ああいう風に扱うもの」
って擦り込まれちゃったですね。だから私はいまだに電子式のチューナーは使わない主義者。演芸番組の影響です。ほんまかいな。
その頃、ってのは1970年代の中盤だけど、その頃一番人気だったのは5代目柳家小さんとか?10代目小三治が若手の筆頭な感じ。でも私が最初に好きになったのは、10代目の金原亭馬生さん。
金原亭馬生 (10代目) -wiki
とはいえ世間一般的に人気あるのは、やはり小さん。あるいは圓楽の「日本むかし話式落語」とか枝雀の「爆笑落語」とか。まあ最初はそういうのも面白かったけど、なんか飽きちゃって。それで段々落語とは疎遠になったけど、1980年代の終わり頃に雷門助六という噺家さんがいるのを知って。
雷門助六-8代目 -wiki
「自分が見たかったのは、こういう落語だ!」
って思っちゃったですね。生で見たくて寄席にも行きました。
雷門助六 八代目 -Youtube検索
馬生さん→助六さんで、自分の中で糸が一筋つながった感じ。なんだけどこうやって思い起こしてみると、ばくおん!!の記事にも書いた事だけど、やはり私の笑いのツボは世間一般的な主流からは外れてるんですかねえ。志ん朝とか、馬生さんの弟だけど、まるで面白くないからね、私的には。
圓楽とか志ん朝の落語は、テレビ向きなのかなとも思います。画面という枠の中で何かしらをやって見せる芸風。日常生活の流れとは無関係な、四角く切り抜かれた時間。
助六さんの芸は、寄席という場の空気全体に働きかける感じ、とでも言いますか。その寄席というのは、外部からピシッと遮断された密閉空間ではなく、なんだかルーズに表通りとつながっていて、その木戸をくぐれば日常の、ありきたりな時間の連続の中ででも、ちょっとだけ良い芸を楽しめるお気楽な娯楽。それこそが落語。
まあ、そういうのは廃れてくばかりだというのは分かります。助六さんは、私が見始めてから何年もしないうちに亡くなられ、その後はもう、私は落語への興味は一切失いました。
いえなに、「昭和元禄落語心中」には助六という名の噺家が出てくるので、ちょっと私個人の思い出を書いてみたまでの事です。リアルの助六さんとマンガのキャラとは、とくに関係はないもよお。
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原作マンガはどうか分からないけど、アニメ版での落語は、これつまりテレビ業界の人が考える落語、テレビに最適化された方の落語なんだろうと思う。んで、噺の背景に、語られてる内容の絵柄や音が足されるのだけど、そうなっちゃったのはもう落語じゃないから、というのが私の落語観なので、この作中で扱われる落語に対しては、はなから評価の対象外でした。
それでも1クールを最後まで見たのは、第一話を見た感じ、着物の作画と三味線の収音がかなり良かったから。
「浴衣回」のあるアニメ作品は多くて、だから着物作画の品質もこの数年でじわじわ向上してると思います。私が最初に良いと思ったのは俺修羅。あとはヤマノススメ2期とかイリヤ3期。
着物の作画ってコスチュームだけじゃなく、リアルの場合、着物を着るとプロポーションの見え方が変わるし挙動も変わる。作法を知ってる人なら、着物の時ならではの動き・仕草をしてみせる。それらをどの程度までアニメに折り込んでくるかが着物作画の見どころで、それが近年なかなか良いわけだけど、「落語心中」の着物作画は、中でもかなり良い方だと思いました。浴衣じゃなくて、それより厚手の着物の話し。
着物というのは洋服と違って、四角い布を縫い合わせたもの。それを身にまとうのは、風呂敷で体を包むようなもの。着物とは基本、体の線を隠すための服です。
なんだけど、着方によっては、あるいは着る人によっては、何故かかえって体の線が生々しく感じられる場合がある。体の線というより、裸体を感じる。といってもそれがモロ透けて見えるのではなく、そういう何かしらが包み込まれてるのが暗示される感覚。それはとても艶めかしい、着物ならではの魅力なのだけど、「落語心中」ではその点がけっこういい感じで作画されてた。
まあ、それがすごく良かったのは第一話だけだったかもですけど。
それと三味線の収音。落語が題材のアニメって、もう何年も前に「じょしらく」があった以来かと思うけど、あの時は、三味線の音ってただ一度、ほんの一瞬使われただけだったはず。しかもそれ、津軽の音だったっていう。
そんな酷いのと比べたってしょうがないけど、でも本作の三味線の音は良かった。やっぱりいいよね三味線。ちょんちょんと鳴らしただけで場の空気が出来上がってしまう。偉大な発明品だよ。
作画に関しては他に、日本家屋独特の、空気がサヤサヤと抜けてく感じ。そういうのもけっこう良く描かれてたと思う。で、ここからがこの作品のアレな点の話しになるのだけど、その、室内作画が良いなあと感じ始めたかどうかってタイミングで、トランペットが鳴り始めちゃったりするんだよね。これガッカリ。でも作ってる側からすると、見どころはそこじゃないって事なのかも。「空気」よりも、劇伴で時間を埋めてく事の方が重要なのかも。
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でまあ話しは進んで第四話。ここで小唄を唄うシーンがあったのだけど、それがとんだ珍味で。
でもそのこと自体はたいした問題じゃないというか、しょうがないというか。現在現役の三味線音楽専門の唄方でも、江戸唄をそれらしく唄える人なんて10人に1人もいるかどうかな現状ですし。
アニメの声優は江戸唄の素人だから、らしくは唄えない、という事でもないんですけどね。こういうのは体質で、すっと出来ちゃう人は出来ちゃうし、そうじゃないひとはなんぼ努力しても無理だっていう。まあ基本、現代人には難しい。例えば「ことば」の発音にしてからが、1970年頃にそれが変化して、そこから更に50年近くが経った現在。だからアニメ声優さんが唄う小唄が珍味なのはしょうがない。スルーでおk。
なんだけど、それを聴いた菊さんが「上手いね」とか言う。これがちょっと、いかがなものかと思ってしまった。すごい違和感。
まあ原作にそういうシーンがあってそういうネームが付けられてるから、アニメはそれをそのままなぞっただけなのかもだけど、セリフを決める立場のスタッフに少しでも聴く耳があれば、「上手いね」の一言の扱いも違ってたろうにと思う。
ああだからつまり、このシーンを見た瞬間私は、このアニメを作ってるスタッフって元々お江戸な趣味とかに興味はない人達なんだなと思ってしまった。まあそりゃそうなんですけどね。いまどき三味線だの小唄だのが好きな人なんて、日本人全体の5%以下?あるいは1%未満?でも、という事は、このアニメでの小唄を聴いてへんだと思う視聴者もほぼ皆無だろうから結果、まあしょうがないし、たいした問題じゃない。私個人的にはずいぶん興ざめした、というだけの話しです。
*)セリフで江戸弁の再現が配慮されてたのは分かりますけど。「ごしいきごべんたつ」等。これは地域的な方言。それに対して唄の中のことばは、いわば時代的・歴史的な方言で、更には唄のための特殊な訛り=唄訛りというのもなにされてあれするものだから云々
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でまあそういうような事があるともう見続けるのも面倒くさくなってしまうのだけど、三味線がちんちん鳴ってるこの作品、自分としてはなるたけ、いや是非とも、「良かった、面白かった」っていう感想で終わって欲しいのですよやはり。
それと、日頃見るのが美少女動物園とか魔法少女ものとか、そんなばっかの私ですから、たまにはこういう真面目っぽい作品も見とかなきゃ、みたいな気持ちもあったりして。
それでなんとかがんばって見続けてたのだけど、クール終盤の8話だったか10話だったかに、とてつもなくダサい劇伴が流れたんですよねえ。上演中の噺家が舞台上でなんかヤバい事になって、心理的に追い詰められてっていう場面、だったと思う。そこに、ピアノの早いアルペジオでdimコードをバラバラバラって弾く曲が付けられてた。まあ記憶曖昧ですが。
そういう場面には、まあありがちなタイプな曲だったのだけど、そのアルペジオの音型が、ありがち王道パターンとは少し違えてあった。それがひどく悪目立ちしてですよ。
いかにもステレオタイプってのとは違うのを狙ったのかも知れないけど、不安・焦燥にdimっていうありきたりさはそのままで、外形だけをちょっと変えただけってのが、知恵が足りないというか浅はかというか。
もともと落語には興味なく、作画だの収音だのといった部分的興味だけで見続けてた作品ですが、この劇伴でとどめを刺されたかっこう。それでも一応最後までは見ましたけど、あの曲にOK出してしまう監督は、ちょっと無神経な人ではなかろうか?そう一旦思い始めると、最初の方の良かったように思えてた点も改めて見直すと、そこここが杜撰だったり凡庸だったりと思われてきて結果、全体的には「手数だけは多い凡作」という印象が確定したです。
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ただ、アニメの監督とは映像作品を作る専門家であって、音楽家ではない。ばくおん!!の感想文に書いた、
「アニメの監督は「笑い」の専門家ではないから、すべってもおk」
と同じ事。アニメは音楽を聴くための場ではないから、曲がへんでもスルーすべき、なのかもね。
しかし一方、劇伴が良いから作品全体の印象も上がってる、という作品はある。これは間違いない。では逆に、劇伴がダメすぎて作品全体の印象が台無しになった作品ってのもあるだろうか?アニメではとくに思いつけないですが、
*)はいふり、紅殻、落語心中の3作について私的には、これらの劇伴がたとえ問題なしなものであったとしても、作品全体的にはけして良作ではなかったろうと思うので、つまり劇伴のせいでダメになったのではないと思ってる。
三次元の映画なら、
黒澤明 「夢」 -Youtube検索
↑俺的ワーストはこれですね。この中のとくに、雪女の件の最後の方。自分これ、封切館で見たのだけど、思わず失笑して「あはは」って声が出そうになった。ちょっとこれはないよーwっていう。
あとはラストの、へんな創作民謡みたいな曲。ヲエエってなっちゃう。
「雛祭」でのセリフに掛けられたリバーブも、センス悪すぎ。
しかしこの作品がなぜ、「劇伴のせいで全体の印象が台無しになってる」と言えるのかというと、封切られた数年後に「夢」がテレビ放映された時、私はそれを音声を切った状態で見てた、という事があったのですね。ちょっと特殊な状況だったのだけど。
音なしで見直した「夢」は、絵作りとかはやはりすごく良いなと思ったんですね。映像だけ見てると、とても良さそうな映画に思える。だからたぶんこの映画、劇伴や音響処理が違ってたら、全体の印象も大きく異なってたに違いない。
「夢」は、映像ポエムの短編オムニバスみたいな映画。つまり全体的なシナリオとかが問題になるような作品ではないから尚更、劇伴次第で大きく印象が違ってた可能性は高いです。
「七人の侍」のラストにも、へんな創作民謡みたいのが流れる。最後の最後で思いっ切りズッコケさせられる。たぶんこれのせいで自分は「七人の侍」を名作だとは思えないのですよ。シナリオの作り込みはすごいので、それを分析して楽しむ参考書みたいな扱いっすね。
あとは「どですかでん」の冒頭のSE。市電の操作音の事だけど、それ聞いた瞬間、この映画はダメだって思っちゃいました。
黒澤明 「どですかでん」 -Youtube検索
原作小説『季節のない街』が大好きな作品だからって事もあったかもですけど。
「乱」の劇伴は武満徹で、これは私は良いと思う。映画全体としては退屈だけど、曲はかっこいい。
黒澤明 「乱」 -Youtube検索
だから、黒澤作品の全ての音がダメという事ではないんですよね。ではどうして「夢」みたいな酷いのが作られてしまうのか?
「乱」の時、監督と武満氏はもめたらしい。それで次作は監督の仕切りを強めた。「夢」を作ってく過程で、もしかしたら現場の多くの人も「この音ないわー」と思ってたかもだけど、自分で仕切る気まんまんの映画の神様に楯突ける人なんて、そういるものじゃなし。それで結果、ああなっちゃった。
とかね。もちろん以上は私のただの想像です。ですがついでだから、「落語心中」の現場にもフィクションを想定してみるなら例えば、監督はあの曲はダメだと思ってたけど、政策的な推しが強くて断れなかった、とか。
まあつまり、監督の仕切りが強すぎても弱すぎてもよろしくないって事ですか?
それどうでしょうね。
深夜アニメに関しては、監督の立場が弱すぎてアレになる事例の方が多いかも。はいふりなんてまさにそれ、ではないかと私は想像してます今のところ。「神輿は軽くてバカがいい」なんて、趣味の悪いジョークだよ。↑↑のフィクションをもう少し膨らませて、ココちゃんの一人芝居で演じてみせて欲しい気分。
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旅街レイトショー
旅街レイトショー -TVアニメ公式サイト
第一話の劇伴のアコーディオン。これ生なのか打ち込みか?それが気になって全話見たのだけど、毎話楽器は違えてあるっていう。
キー・ノイズの入り方が少し不自然に思えたので。生だとしたら、私的にはこの収音はNG。
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彼女と彼女の猫 -Everything Flows-
彼女と彼女の猫 -Everything Flows- -TVアニメ公式サイト
1999年の自主製作アニメーション作品の、テレビ用リメイク。
彼女と彼女の猫 -wiki
伊藤真澄氏の曲が使われてる、という理由で視聴。とくに印象はなし。
1999年のオリジナル版も見てみたけど、こちらもとくに。
何年も経ってから見直したら良いと思えるかも、という気持ちは少しあります。
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SUSHI POLICE
SUSHI POLICE -TVアニメ公式サイト
アボガド寿司とか、なんかもう定番化し始めちゃってるのね。
アボガド寿司 -google検索
私的に、外人さんが考案したヘンタイ寿司の諸々に対しては、もういちいち目くじら立てなくてもいいかなって気持ちになり始めてます。「SUSHI POLICE」を見たせいもあります。見といて良かった。三味線とかむしろ、知られてないのがラッキー・ポジション。
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紅殻のパンドラ -GHOST URN-
紅殻のパンドラ -GHOST URN- TVアニメ公式サイト
「攻殻機動隊 ARISE」のスピンオフ。
児ポ的には何ら問題ないのだが著しくけしからぬ描写が売りのアニメ。
かと思うと健全大将みたいなおまわりさんが出てきたり、地域住民とハートフルに交流したり。
なんだかよく分からない作品でした。ただ、アニメ版は原作を大幅略化してるらしく、更に私は元作品の「攻殻機動隊」は全く知らないという。だから分からなくて当然。というスタンスで見てても、そこそこ楽しめた作品でした。少なくともクール終了直後の頃までは、そう思ってた。
なんだけど、その翌週には次の春クールが始まり、新作をいくつか見て、それが2話3話と進むにつれ、「紅殻」への好印象は急速に薄らぎました。これ不思議。
それから更に4カ月ほど経過した本日7月末現在では、べつに見なくてよかったかもくらいの位置づけまで降下。
私が冬クールに見てた作品は大人し目のが多かったです。「僕だけがいない街」とか落語とかブラバンとか。一応バトルものとかスポ根もあったけど、まほうで戦うのとか(このすば&ファントムワールド)、空を飛びながら背中にタッチするとか(あおかな)。
アクションが高速で、マシンガンをガガガガガ!とぶっ放す系のバトルは、「紅殻」だけだった。だから良く思えたのかな。クール中に最低1作は、そういうのが混ざってて欲しいという事なのかも。
春クールの新作ってのは、ばくおん!!はいふり、クロムクロ、コンレボ、ニンジャスレイヤー等々。ったらやはり、「紅殻」の事なんて忘れちゃうかもですね。
だからってこの作品は駄作だとか、そういう事ではないです。放映中だけでもああ面白かったと思えるなら、取りあえずそれで十分じゃないですか、マンガなんだし。
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「紅殻」の劇伴について;
この作品、私的にはとくべつ面白くはないけど一応最後まで見ておこうと思った理由の一つは、劇伴の良さ。担当したのはTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND。
TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND -wiki
アイキャッチのジングルとかがカッコいい、とまず最初に思い、3話目だったかくらいになってから増えてきた日常シーンに付ける曲も良いと思った。バトルのも。
ただこの作品、話しの流れからすると最後に大規模バトルで〆るのは間違いなく、しかしそれ用の劇伴がTPGFの作風で大丈夫だろうか?一体どうするつもりだろうと思ってたら、やっぱり大丈夫じゃなかったっていう。
一応、バトル規模の大きさに合わせようとしてたのは分かるのだけど、そのために加えた要素がクワイアっていうのがなんとも興ざめで。
とはいえ元々がそれほど楽しめなかろうという予測で見てた作品だから、すごくガッカリしたとかいう事はないです。ただ、作った側はあれでOKだと判断してるわけですよね?それともあーあダメだと思いながら放映してるのでしょうか。その点は少々腑に落ちないです。
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僕だけがいない街
僕だけがいない街 -TVアニメ公式サイト
過去に受けた心の傷と、どう向き合うか。それをどう克服するか、あるいは克服できずにアレになるか等々は、マンガ類の重要な題材です。
*)マンガだけじゃないですけど。
現在目の前にある課題を克服する事で、過去の傷をも克服しようとするのは健全マンガ。それに成功すれば大勝利マンガ。
しかし、過去の傷を現在で、という対応関係ではなく、舞台を遠い未来や異世界に移し替えて、とか、過去の傷を過去に戻って解決しようとする設定の物語もある。
とても沢山ある。
そういうのはどれも空想物語です・・・って、大勝利マンガだって大抵は絵空事ですけど、未来や過去に行けちゃうのは明らかにSFとかファンタジー。完全な絵空事。しかしだからこそこのジャンルでは「たられば」の可能性と多様性も思う存分に展開可能。だから物語作者たちは競ってここで、各々の妄想の翼を広げ羽ばたかせ、己が知力の及ぶ限りの云々
ですが、過去に戻るパターンに関して、とくに、タイムマシンに乗って過去に戻って、過去の出来事を改変しようとするタイプの物語に対しては昔から一つのルールというか、暗黙の了解事項みたいなものがありますよね。つまりタイム・パラドックスの問題。
タイムトラベル -wiki
時間旅行者は絶対に過去を改変してはいけない、っていう縛りの厳しいのもあるけど、ちょっとくらいならOKというのもある。あるいは、改変するとパラレルワールドに分岐しちゃうとか。まあ色々ですけど、ともかく何らかの形で、現在と過去の対応関係の辻褄を合わせないと、SFとしては二流、インチキと見なされる。それが物語業界のルール。
と私は思ってたんだけど、最近のSFは、けっこう好き勝手に過去を改変しちゃうんですか?というのが、「僕だけがいない街」を見始めて間もない時点での感想。こんなんでいいのだろうか、と思う私はアタマ古いんだろうか。それでもいろいろ考えてみた。
a. 近年のSF業界は煮詰ってネタ枯れだから、タイムパラドクスは気にせずともOKになった。
b. それとも「僕だけがいない街」は、このルールを破ろうとする先駆的前衛的な作品なのである。
c. ではなくてこの作品、絵柄的にはあまりSFっぽくないため、SF扱いされてない、という立場を利用して、タイムパラドクスのルールを小狡く破ってるにすぎないのではなかろうか。
等々
なんにせよ「僕だけがいない街」の原作は既に高評価されてる有名作のもよお。という事は大勢の人に読まれてる。という事はたぶん、SFファンにも読まれてる。そしてそっち方面からの突込みにも耐えられてる、のなら、SFとしての辻褄も合ってるのだろう。しかし一体どういう仕掛で?それはぜひ知りたいものです。
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すみません、ここから先はネタバレの度合いが高まりますので、この作品を未読未視聴の方は読んじゃダメです。↓のリンクを押すと当ページ内の前項・次項へジャンプできます。
だがしかし
紅殻のパンドラ -GHOST URN-
私的評価だけを先に書いておくと;
SF的推理ものとしての面白さは、中の下。ただそれはアニメ版に対しての評価で、原作コミックとアニメ版とでは終結部が違うらしい。私はアニメ版しか知らず、それに対する評価は中の下だという事です。
アニメ作品としてはただ一点、舞台が小学校に移る、その最初のシーンだけは良かった。アニメならではの良さだと思いました。
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さてでは、この作品でのタイムパラドクスの辻褄の合わせ方に対する私の解釈を書きます。あくまでも、私はこう理解してる、という事にすぎませんが;
主人公の藤沼悟君・小学5年生は超能力の持ち主なんだけど、それはタイムトラベル=時間移動ではなく、未来予知です。
今現在の自分の行動次第で、未来の状態は何通りにも変化する。その分岐する未来像の数パターンを極めて正確に予知できる。
ただこれ、悟君の脳内に未来のビジョンがホワンと現れる的な予知ではなく、全身体験型VR(バーチャルリアル)の超高性能版みたいな、つまり29歳になった時点の予知なら、もう完全にその年齢になった自分自身の体験として、その時点で起こる出来事の当事者として、その未来のビジョンを体験してる。
リアルすぎて、それが予知ビジョンである事に本人も気付けない。
だから悟君自身は、自分はタイムトラベラーだと思ってる。
そこで、この物語で起こる出来事を時系列順に並べ直すと、
1. 藤沼悟君、小5の時に、あるいはその以前に、なぜか上述の予知能力を得る。
2. 犯罪の発生を察知し、阻止しようとする。
3. しかし力及ばず半死。植物人間状態に。
4. 15年後に目覚め、犯人逮捕。
これが時系列通りのあらすじ。だけどこのままマンガ化しても面白くないので、作者は時系列を組み替えた。つまり、悟君が予知してるビジョンを今現在の事として扱う形で、物語をスタート。
つまりアニメ第一話での、ピザの宅配をしてる悟とは、1988年現在の悟が見てる予知ビジョンだという事。
すると読者は、悟君はタイムトラベラーだと誤解する。しかしそれではいろいろ辻褄が合わなくなるので、だからこそ謎解きへの興味も強まり、面白いと感じてもらえる。
つまりこの作品、推理ものとしては、広い意味での叙述トリック型ですね。
叙述トリック -wiki
*)広い意味での、かどうかはちょっと不明。普通の意味で、こういうのを叙述トリックと呼ぶのかも。私は推理ものは門外漢なので自信なし。
物語の初めに、狭い時間幅での時間移動のエピソードを見せますけど、これは読者をミスリードに誘うための仕掛けでした。と私は解釈してます。
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という事でこの作品、タイムパラドクスに違反してるのかと思ったら、そもそも時間移動はしてない、というのがオチでした。上手いこと騙されちゃいました。なかなか面白かったです。ただ、推理もの・謎解きものとしての私の評価は中の下。何故かというと、最終話で犯人が逮捕される、そこで決定的に作用するのは犯人の心理・心情。これが私的にはかなり拍子抜け。
ここまで引っ張っておいて、最後はそれかYO!っていう。
だけどこの点、アニメ版と原作とでは違うらしいので、アニメ版に限り、私的評価は中の下という事です。
この作品に対して、謎解き以外の点でも面白いとか好きとか思える点があれば原作コミックを読むかもだけど、それはないです。何故かというと、この作品のトリックは、時系列を一か所組み替えるだけでミスリードを誘う、シンプルで効果が大きいアイデアだと思うのだけど、やはりそれだけでは面白くならない=読者の興味を惹けない。トリックがバレやす過ぎるかもしれない。なのでその点を補強するため、色々な要素を足してある。色々っていうか主に2つですが。
1. 児童虐待および児童性的虐待
2. 人生詰んでるオッサンが、子供に戻ってやり直したいファンタジー
謎解きとは別にこの2点の展開を追うだけでも興味持てますし、推理ものとかSFに縁のない読者層を呼び込めもします。
ただ児童虐待の扱いに関して、何話目かで雛月加代の件が一段落する、その解決法が原因排除型で、これちょっと、水戸黄門みたいとまでは言わないけど、やはり少々安易かなと思う。
この作品、実はSFとか謎解きとかより児童虐待の方が重要で、この扱いにくい問題を面白いSFに絡めて訴えるのが作者の真意なのかも、とも思いながら見てるわけですよ。でも上記の件(くだり)を見て、やはりそうではなく、この作品での児童虐待問題は作品に深刻っぽい雰囲気を与えるための付加要素でしかなかったんだなと思ってしまった。見せかけシリアスですね。
2.のオッサンファンタジーに関してはこれ、最終的には超能力持ちがリア充化する展開で、共感できる要素がまるでない〆方。
ただほんと、原作とアニメとでは細部の諸々が違うかもで、その結果全体の印象は大きく違うのかも。それを確かめるために原作も読むべきかもだけど、叙述トリックに関しては十分面白いし、これ以上は掘り下げなくてもいいかなという印象です。
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アニメ版ならではの良さは1点。小学校時代に戻った最初のシーン。これ、人生やり直したいファンタジーに関わる事でもあるのだけど;
例えば仮に、自分が寝てて夢を見たとする。小学校時代に戻ってる夢を。
とてもリアルで正確な夢。本当に、5年生の時の2月某日。その日その時の状態がありのままに再現され、5年生の自分が、そこにいる。
という夢を見たとしたら、こんな気分なんだろうな、
と思いながら、その、小学校時代に戻った最初のシーンを見てました。奇妙なリアルさと、なんか気持ちがホカホカしてくる感じ。センチメンタルなものです。
「僕だけがいない街」は実写映画版も作られたみたいだけど、たぶんこのシーン、実写ではけして、アニメで得られたような気持ちは生じないと思う。
なぜなら、アニメの絵はマンガの絵。マンガの絵は、多かれ少なかれ記号的。具体性が乏しい。
だがそれがいい。
私が通ってた学校とアニメの中の学校とでは、校舎の形も窓から見た景色もぜんぜん違うし、もちろん人物の顔かたちも違うのに、それでも奇妙なリアルさが生じたのは、記号の持つ普遍性ゆえだと思います。
実写映画は、画面内の全てが具体物なので、こういう心理は生じないだろうと思う。シーンの連なりの中で小学校が出てきたら、ああ小学校の場面に切り替わったのだなと了解されるだけ。
まあそれがホントかどうかを確かめたいなら実写版「僕だけが」を見ればって話しかもですけど、私の場合、少なくとも近年の日本で作られた三次元ものを見るという事はまず絶対にないので。劇場版でもテレビでも。
それにアニメの方にしたって、そのシーンをもう一度見ても同じ気持ちになるとも思えない。これはほんの一瞬、一度きりの経験でした。でもそれは、なかなか良いものだったです。
実は自分、高校時代に戻ってる夢は時々見るのです。高校っていうか、その前後数年間での知り合いがごちゃ混ぜに出てくる、でもそこは高校だという設定になってるデタラメな夢。まあ夢なんで。
小学校に戻る夢は見たことないですけど、でもそういうのを見たら、こんな気持ちになるのかも、という事をちょっと思えただけでも、なんか良かったです。
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なお、この作品は時間移動ものではない、というのが私の解釈なのだけど、それが正解かどうかは分かりません。そして、それを確かめるにはアニメを再度ちゃんと見るとか原作を読むとかしなきゃなんだけど、申し訳ないのだけど、私はそうするつもりはありません。
私にとって重要なのは、好き勝手に時間移動してるように見えて、実はちゃんと辻褄は合ってる、そういう物語を組み立てるのも可能なアイディアがあり得るんだなと分かった事。
「僕だけが」という作品がそのアイディアを利用してるのかどうか、つまりこの作品では時間移動してない、という私の解釈が正解かどうかは、わりとどうでもいい事なのです。
もし「僕だけが」の作者が、この作品を時間移動ありの設定で作ってるのだとしたら、それはSFとしては自由奔放すぎだろうと思うけど、まあそれも、自分はとくにSFファンなのでもなく、SFのルールを崩すのが絶対ダメとも思わないので。涼宮ハルヒのシリーズなんてああなのですし、そして私はハルヒは好きですし。
最後の大団円がウルトラ・ハッピー仕様で、あまりにも空々しい、という気はする。となると、実はこれも偽りのビジョンなのかとも思われてくる。上げて落とすは定番。再び世界が崩れ小学生からやり直す第二期キターな展開も可能。
それはそれで白々しいですが。
原作コミックは単行本8巻で完結してて、も少ししたら補足の数冊が出されるらしい。そっちも読めば、時間移動云々の件もはっきりするのかも知れません。二期目とか、そういうのはないと思われます。
原作コミックでは7~8巻が、悟君が蘇生して以降の件(くだり)に相当するもよお。
アマゾンのカスタマレビューは五つ星が多く、そこから星1つに向けて減ってく順当な配分だけど、星3つくらいの人でも、実はあまり良く思ってない風の感想が目立ちますから全体では、少なくとも1/3くらいの人は、7巻以降には失望させられたもよお。
あくまでも、アマゾンにレビューを書いた人の中での割合という事ですが。
最終8巻のレビューになると、
・この作品は売り手の戦略で作られたヒット作にすぎない、とか、
・これより面白い作品は他にもあるのに、なんでこんなに高評価?
とかまで書かれてしまう有様。
まあ、そう言いたくなる気持ちも分かります。ただ、ちょっと考えてみて欲しい。
「僕だけ」より面白い作品が他にあると知ってる人は、なぜそれを知ってるのか?なぜそれを、知る事ができたのか?
「僕だけ」よりも面白いのに、「僕だけ」ほど有名ではない。という事はつまり、あまり売れてない。それでも辛うじて世の中に出回り、少数の人からだけだけど、読まれ支持されてる作品もある。
出版社側からすると、そういうたいして売れてもない作品から利益は生じてない。むしろギリとんとん。下手すると赤字。なのにそれでも読者の目に触れる状態にはなってる。それが可能なのは何故か?
答え;
大ヒット作から得られる大きな利益で、細かい赤字を穴埋めできるから。
出版社の品揃えは、ミソもクソも一緒くた。どんなのが売れるか予想なんて出来ないから、取りあえず何でも出してみる。でまあ大抵は赤字。でもたまにマグレ当たりでヒット作が生まれ、それまでの赤字を帳消しにできる。
というのは、少なくとも昭和の頃までの出版業界の商売にはそういう一面があったという話しで、今はどうか知りません。赤字だった本の中にも優れた、面白い本も少しは含まれていて、それらが世に出回るのも、たまにヒット作があるおかげ。
一方ヒット作というのは、普段はあまり本なんて読まない人でも買う本、なのでもある。だから、今まで何冊も読んできた人とか専門的な知識を求めてる人とかからすると、ヒット作は薄味で、一体どこが面白いんだかと思うような内容である場合も多い。
だがそれはそれでいい。
ヒット作って、売れさえすればいいもの、とまで言い切ってしまうのは流石にアレだけど、まあともかくありがたいものです。ヒット作があればこそ、どこの誰が読むとも知れぬようなどマイナーの、へんなマンガでも、我々はそれを手に出来る。
いつの頃からか出版業界は出たとこ勝負を避け、「戦略」で本を売るようになった。それもしょうがないでしょう。本を読む人は年々減り続けてます。マンガなんて、もうどちらかというとマイナーな趣味。それでも売る側の仕掛けに乗って時々は買ってみようという人はまだいるわけで。
とはいえ、つまらない作品に対してはつまらないと明言するのも大切で、「僕だけ」に関しては、数年前から読み続けてたのに最後でガッカリさせられた、という人が少なからずいる。それはやはりちょっとマズかったかなと思う。
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だがしかし
だがしかし -TVアニメ公式サイト
この作品のOP曲、私的には完全にパス。なのでそこは毎話スキップ。それでなんとなく本編も流し見で、全体的な印象も薄かった感じ。元々まめち並べ型というか、いろいろ知って楽しい系のアニメは面白くないと思ってる、という事もありますし。
EDの方は良かったです。まあごく当たり前のものだけど、アリスinダガシーランド。これしかないという組み合わせ。
それにしても、あの踊りは何だったのか。どっから出てきたあのチョイス?それが気になって、つい毎週見てしまったかっこう。竹達さんがこのところ歌謡曲風路線でナニしてるって事もあろうけど、wikiを見たら、枝垂ほたるは、
読者それぞれのイメージで見てもらいたい」という理由で、年齢は不詳となっている
って書いてあった。という事はつまりほたるさんの御年は少なくとも、あの踊りが盛んに踊られてた時空までの振れ幅はある、という事のもよお。私的には、ヨウさんとタメかなと思ってます。いや、なるたけ自分に近く引き寄せた方がちょっとは余分に楽しめるかと思って、無理にでもそう考えてみるテスト。
だがしかし -wiki
EDに続いての次週予告も、サヤ氏とのやり取りがテンポ小気味よく、本編よりこっちの方が面白かった。っていうか本編もこのノリだったら良かったのに。ショート・アニメで収まっちゃいますけどね。
30分アニメの1話は正味約20分だから、駄菓子ネタ2品分に要するのが約5分とすると、残りの約15分を、原作にはないアニメ独自要素で埋めなきゃならない。つまり、まめちマンガをアニメ化するなら、それくらいの大改造をするか、じゃなきゃ3分枠にしとくべきって話しかもです。
ああでもこれ、駄菓子には何の思い入れもない私の感想なので。もしかしたら駄菓子ファンの方々にとっては良作なのかも知れません。けして杜撰でも投げやりでもなく、丁寧に作られた作品だったとは思います。
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魔法少女なんてもういいですから
魔法少女なんてもういいですから -TVアニメ公式サイト
「ヤマノススメ」の作画スタッフ、嶋田和晃氏がキャラデザ総作監。
ヤマノススメとはぜんぜん違うような似てるような、不思議な感覚。すっきりしてクセが無い感じ。言い換えると、とくに印象には残らない。でも、2期とかあれば見ますけど。
OP曲が好き。サーカス音楽のレプリカ。
魔法少女なんてもういいですから op
フルで聴くの禁止、などと言ってはいけないかもだけど、40秒枠ならではのなにですかねえ。
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この男子、魔法がお仕事です。
この男子、魔法がお仕事です。 -TVアニメ公式サイト
この作品の監督については↓を参照;
山本蒼美 -wiki
作画関係は全部一人作業のもよお。自主アニメでは珍しい事じゃないかもだけど、そういうのを地上波で見れちゃうウルトラスーパーアニメタイムって、良い企画だったと思います。
ULTRA SUPER ANIME TIME -wiki
私的な当たり作は;
・石膏ボーイズ
・ミス・モノクローム
・宇宙パトロールルル子
そして「このだん」。
アニメや映画は大勢の共同作業で作られるもの。基本それは良い事だけど、たまには作家性の強い、濃い味のアニメも見たいよね。2010年より以前の私はアニメを見ませんでしたけど、ユーリ・ノルシュテインだけは好きだった。
ユーリ・ノルシュテイン -wiki
以前は好きだったけど、いま見たらどうかな。初めて見た時は、こういうアニメもあるんだって驚いたものです。そういう気持ちにさせてくれる作品、これから先も出てくる可能性はあるんだって、そう思わせてくれた「このだん」でした。
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蒼の彼方のフォーリズム
蒼の彼方のフォーリズム -TVアニメ公式サイト
次のクールに何を見ようかと探す時、私はたいてい、まとめサイトの一覧表をざっと見るだけ。タイトルKVあらすじスタッフを一通り確認して、それで決める。PVを見たりはしません。
なんだけど本作あおかなだけは何故か、PV見たんです。あらすじ等に興味は持てないけど、一応公式サイトは見ておこうかなという気まぐれを起こし、PVもついでに見た。という流れだったかも。
そしたら、PVにちょっとだけ入ってる飛行中の作画が、わりと良さそうに思えたのですね。サイト内のちっこいPV画面で見た限りでは、けっこう飛べてる感じがする。じゃあこれ見とこうかと。
でまあ実際は、たいした事なかった。なんだ普通じゃん、というのは2話目くらいで明らかになり。しかしシリーズ構成は吉田玲子氏で、物語の先行きに何となくでも期待を持たせてくれるのは流石というか。なので視聴継続。結局最後まで見てしまった。でまあ物語的にもとくべつ面白くはなかったのだけど、その間ずっと、なんで飛ぶ作画って飛んでる感じがしないのかなって、画面を眺めながらそれをずっと考えてました。
アニメで表現しにくいのは大きさ・重さ・熱。これアニメの3大難物。というのはこのブログで何度も書いた事ですけど、実はアニメで表しにくいものは、他にもまだまだ沢山ある。その一つが飛行。飛び作画ですね。
大きさ等についてと同じ事だけど、飛んでるよっていう「説明」は、アニメでも出来てる。でもその「感じ」。実感みたいなもの。それは、画面を見てても生じない。
ただ、宮崎アニメの宅急便とか紅豚は高評価されてますから、これらの作品内での飛び作画は良いのかも知れない。私は見てないんです。でもトトロは見てて、そこから類推すると宅急便の飛行なんて、たぶんかなり良いんじゃないかと思う。
ただ、テレビ放映されるアニメを見てる限りでは、飛んでる感じがしない方が多数。という事は、上手くできてる作品が今までにいくつかあったのだとしても、そのノウハウが定式化されアニメ業界全体で共有される状態にまでは、まだ至ってないとは言えるのだろう。
まあ「飛ぶ」と一言で言っても、その内容は様々なのではありますね。まず、乗り物の有無の違いがあって、現実的かSF的か魔法的か昔話的かの違いがって、また、上昇、滑空、滞空、降下、落下の違いもある。さらに、飛びながら何をするかも色々。これらの全てに対して「実感」を生じさせるための汎用的な技術とか、あるいはコツみたいなのを確立し得るかというと、それはまだ当分無理なように思われます。
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それはさておき、あおかなの飛び作画は何故イマイチなのか?
飛行中、風圧によって生じる髪揺れ・服揺れが省略気味だったのは、しょうがないと思います。それ全部きちんと描いてたら、どんだけお金がかかる事か。
飛行中の距離感が上手く表せてない。これは大きな弱点かなと思う。FCのリングは一辺300mとの事で、それの四方だからかなりデカいと思うのだけど。
大和型戦艦4隻を枡形に並べ、ブリッジ辺りの高さで飛び回ってる感じ。
というイメージでスッキリ理解できるという人は、まあそんなものを思い浮かべてください。ヤマトの全長=263mだから、その更に一回り外周を使う感じ。かなりの距離ですよ。
てまあそういう数値的なナニは置いといても、飛行中のキャラを地上から見上げた際の距離感も、飛んでる側から見た地上の距離感も、あまり描けてなかった。主なフィールドが海上なせいもある。地上を飛んでる方が距離感は表しやすい。ただそうすると多分お金がべらぼう云々
地上との距離感とは、恐怖感の源なのでもあります。歩道橋の高さが、平均5mくらい?これでもそこそこ怖いけど、その倍の10mなら、落ちたら大けが必至。死ぬかも。水泳の飛込競技の一番高いとこが10mで、あれ、見てるだけで滅茶苦茶こわいのですが。
人間にとって、高いのは怖い事。だからこそ、飛ぶ事の意義は、その恐怖を克服し、恐怖から解放される事。だから逆に、飛ぶ事の実感の前提には恐怖が必要。恐怖を生み出すのは高さ。だから、飛んでる側から見た高さの描写が不十分だと、飛んでる感じも生じにくい。飛んでる事というか、飛べた事のヒャッハー感が、生じにくい。
あおかなを見てて思ったことは以上。それで思い出したのだけど、2013年の「はたらく魔王さま!」。
はたらく魔王さま! op -Youtube
OP動画の55秒辺りで、エミリアがビルから飛び降りる絵がありますけど、これは良いよね。OPでの一瞬芸だから本編と比べてどうこうとは言えないけど、でも、飛ぶ事の快感と開放感は、この一瞬で全て表し尽くせてると言えなくもない。本編内の要所仝にこういうのを配するだけでも、作品全体の印象は大きく違ってくるのかもですね。それで、あおかなで一番印象に残ったのは、EDの最後の止め絵だという。
蒼の彼方のフォーリズム ed -Youtube
鐘楼みたいなとこに腰掛けてる二人。かなり怖い。
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色彩設計について;
空の色が、少し緑がかった青だった。商品ロゴは明るい水色だからそれに揃えるのが常道かなと思うけど、そこから少しずらしたですね。これ面白いなと思って。色味自体も良かったし。海の色の反映かな。主人公の髪色との組み合わさり方も良かった。
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無彩限のファントム・ワールド
無彩限のファントム・ワールド -TVアニメ公式サイト
私の場合、けいおん!が深夜アニメへの入口だったから、京都アニメーション社にはがんばって欲しいと思ってる。
が、低迷し迷走する京アニの命運を握り、起死回生の期待を背負い本作に登場したのはブルマー戦士。ずいぶん思い切ったというか吹っ切れたというか、吹っ切れた勢いでどこかに吹っ飛んでいったというか。
相変わらず作画は厚く、よく動く。思わず目を背けてしまうカッコよさ。無駄リアルの本気を見たよ。なんか逆に、
「面白いから、もうちょっとこのままで」
と、遠巻きにでも見守り続けなきゃと思いました。がんばれ京アニ!
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でも「無彩限のファントム・ワールド」は、ここ数年の京アニ作品の中では面白い方だったです。良かった点は2つ。
1. 古典心理学への接近というか回帰というか
物語の初期設定に遺伝子組み換えがどうのとあるし、脳組織のCG画像みたいのが毎話まず最初に映し出されるし、そういう点では近頃主流の脳科学な方面が前面に出されてるのだけど、話しが始まってみると、ユングの集合的無意識がどーたらみたいなことを言い出して。
そのワード、久しぶりに聞きました!みたいな意外性がありましたね。あとは民俗学由来のモチーフがいくつか。
心理学 vs 脳科学について考えてみると;
心理学ってのは似非科学だと私は思ってます。科学の名に値するのは脳科学の方。
心理学 -wiki
脳科学 -wiki
脳科学は最近の成果もいろいろ目覚ましく、感覚器官が捉えた刺激の処理の仕組みを調べる事からスタートし、それが記憶と思考の仕組みを調べる方向に発展し、いずれは感情とか心とかの事も、脳科学がスッキリ説明してくれるのではないかと私は期待してます。
人工知能も最近はすごい。
人工知能 -wiki
こないだコンピュータが囲碁の世界チャンピオンに勝った。こういうのと脳科学の成果とを結び付ければ、いずれ「感情を持ったコンピュータ」というのにお目にかかれるかと。
電源を切ろうとするたび、いやだいやだと泣き喚く雛苺型OS
なんか悟ったような事を言ってのける真紅型OS
みたいのを我々が手にする日も近い、のかも知れない。いやまあそういうのを本気で開発するなら、「感情とは何か?」という問いが、改めて厳しく定義し直されるであろう。私はそこに一番期待してるのですが。
一方、心理学の方は、いろいろ胡散臭いナニとかが増えすぎて、類縁に死生学とかいうのまで派生させたりもして、もはやこれフラワー枠ですね。いずれは廃れ、一時的に流行した疑似科学の一つと見なされるようになるでしょう。なぜそう言えるかというと、昔、錬金術というのがありまして、
錬金術 -wiki
錬金術は、昔は科学の一ジャンルだったです。アイザック・ニュートンは錬金術師なのでもあった。つまり18世紀初頭くらいまでは、錬金術を科学として研究してる人はまだいた。でも今はオカルト扱い。心理学もそれと同じ。遠い未来の子わっぱどもは、
「大昔の人は卑金属が金に変わるとか、人間には心とかいうのがあると思ってた、んですってねーw」
みたいな事を言ってるのでしょーよ。ちょっと腹立たしいが仕方ない。西暦2000年代、人類の文明史はまだ始まったばかりだよ。
アイザック・ニュートンのオカルト研究 -wiki
死生学 -wiki
というわけで私的には、心理学と脳科学とを競わせたら圧倒的に脳科学の勝ち、と思ってます。ただそれは科学に限った話しで、「物語の世界」はまた別。
今のところ脳科学は、物語を面白くしてくれる事には、あまり役には立ってくれそうもありません。例えば幽霊や妖精さんが見えちゃったりするのも脳みその不具合が原因って、はっきり説明しちゃうからね、脳科学って。そんな科学的成果が積み上がるほど、物語の世界は痩せ衰えてく、ような気がする。しかしだからといって心理学の方が良いという事にはならないのだけど、ではそもそも「物語」とは何か?
この問いには無数の答えが既にたくさん出されてますが、ここでの話しに相応しいのは;
物語とは、世界のあり方を説明するための枠組み、あるいは試み。
ですね。科学も同じですけど。「とは何か?」を問う、人間の根源的な脳みその働きが生み出した諸々。古い順に並べると、
物語→心理学→脳科学
で、真ん中に挟まれた心理学は一過性のものとして、いずれは廃れるのだとしても、大昔からある「物語」は、まだ当分しばらくは残り続けるに違いない。そして心理学の成果は「物語」の方に吸収され、これを延命させるくらいの役には立ってくれるかも知れない。実際つまり例えば、ユングの集合的無意識とかって面白い考え方じゃないですか。ものすごく胡散臭いですよ。てゆうかこんなのはフィクションです。しかしだからこそ物語の養分になってもくれるのです。
集合的無意識 -wiki
といわけで、「無彩限のファントム・ワールド」がちょっと面白かった理由の一つはこれ。古典心理学から生まれた何やかやを、物語に組み入れようとしてたっぽい点です。つまり原作レベルでの面白さですね。それが実際どう活かされてたかとか、アニメ的にどうだったかというのはイマイチだったかもだけど、まあこの点に興味を惹かれ、最後までわりと面白く見れました。
2. 神を食らう描写
和泉玲奈は、ファントムを食べて封印する。これに似たのが数年前の「ささみさん」にあって、
ささみさん@がんばらない -TVアニメ公式サイト
私的にささみさんはとても好きな作品なのだけど、その、神を食らう件の扱いだけは残念だった。
「ファントム・ワールド」のは良かったです。滑稽で、しかもややグロい。
ちょっとグロいんだけど、なんか滑稽。
これとても民俗学的。ヌルヌル動くからこそ生じる印象なのでもあって、それは京アニならではのもの。京アニらしいなと思ったです。
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石膏ボーイズ
石膏ボーイズ -TVアニメ公式サイト
アニメのギャグって笑えない。でもアニメのスタッフって笑いの専門家じゃないから、それ当然。べつにかまわない。
ギャグがキレてるシーンを含む作品ってのはわりとあるけど、純然たるギャグ・マンガのアニメ版で面白いのは、ほとんどない。
私が見た中で良かったのは帰宅部。
帰宅部活動記録 -TVアニメ公式サイト
長らくこの1作だけだったのだけど、新たに名作リスト入りしたのが「石膏ボーイズ」。一発ギャグ的に、せいぜい3話くらいまでなら笑わせてもらえるかなと思ってたけど、ショート・アニメとはいえ、1クール持続したのはすごい。
まあ中盤に若干の中だるみ、それはやはり当然あったけど、最後にひと山盛り上げ直した。それもすごいなと思って。
私が好きなギャグ・マンガには一定のパターンがある。という事に気付かせてくれたのは、2014年の夏クールに放映された「てーきゅう」のベストセレクション。
てーきゅう -TVアニメ公式サイト
「てーきゅう」自体は、とくべつ面白いのでもないのですよ。でもそこそこ見れちゃう。なんでかなと思ってたら、人物群のロール配置が「帰宅部」と同じなんですね。そこで改めて、自分が今までに見た中での面白いギャグ・シーンを思い返してみると、概ね全てこれに合致する。これ大発見。
コミックだと、例えば「あずまんが大王」とか名作と思いますけど、
これのアニメ版、つべで数話見ただけですが、それは面白くない。原作4コマをそのまま絵コンテとして用いたような、とても原作に忠実なアニメ化だと思うのだけど、面白くない。
だから、アニメにはアニメに適したギャグのパターンってのがあって、しかしそれはコミックよりは間口が狭いって事のもよお。まあ私にとってはそうだという話しですが。
それで「石膏ボーイズ」も当然「帰宅部」等と同じロール配置なんだけど、それプラス、この作品独自の要素があって、だからこそ1クールもったのかなと思う。
その、私にとっての面白いパターン、ロール配置云々については、一度ちゃんとした記事にまとめなきゃと思ってて、いやそれつまり2014年に「てーきゅう」を見て以来そう思ってるのだけど、今まで放置。そのうち書くと思います。「石膏ボーイズ」についての評も、その時に改めて。
シンセサイザーの自作は著しく面白い趣味ですよ☆皆もやるとよい。
ただ欠点は、とにかく時間が掛かること。まあ私の場合はそうだという話ですが。
この記事が、今年になってからの初投稿なんですねえ。。。ちょっと自分でもびっくり。前回の記事が去年の12/15で、それから3カ月もごぶさたでしたが、この間ずっと、余暇の時間のほぼ全てをシンセ作りに費やしてました。
停滞してるんじゃないんですよ。ちょっとずつしか進まんのです。去年の暮れの時点での色々な不具合が概ね解消したのが、たしか二月頃。不具合を直しつつ新機能を盛り込んだりもしたものだから、余計に時間がかかった。でも概ね快調に鳴らせるようになった。となると、ますます面白くなるわけです。
作業がひと段落ついたらブログを書こうと思ってたんですけど、それがなかなか、作ってみたいものや試してみたい事が大量に行列待ちしてる状態だもんで、良い区切りが生まれない現状。作文するより工作する方がぜんぜん面白いからそっち優先になりますわねやっぱ。
なんだけどアニメの冬クールが今週までなんで、ここはやはりどうしても記事を一つ書かねば。冬クールがというより、私的にはこれ↓
ばくおん!! -TVアニメ公式サイト
今年のアニメの最優先事項はこの作品。今年はもうこれだけ見れればいいやくらいの勢い。
ていうか、原作コミックの方を先に好きになって、それがアニメ化されるって、自分にとっては初の事なのですよ。
*)だぶるじぇい YouTube検索←これはノーカンよろ。ショートアニメとすら呼べない黒歴史未満。
ばくおん!!のアニメ化情報、数か月かけて小出しされてました。ずっとヲチしてましたよ。じわじわくるの、心臓に悪いですわこれ。胸が苦しい。こんな気持ち初めて。制作会社と主要スタッフが発表された時点で一安心できましたけど。現状での期待度は;
無難路線だなこりゃ+α
つっても、既に原作を舐め回すように読んでしまった私が、このアニメに対して公正かつ客観的な判断など出来ませんし、でもやっぱりとても楽しみですねえ。そうなっちゃうものなんですねえ。冷静になんてしてられません。
それで、この「ばくおん!!」が放映される春クールに向け体力温存するためw、冬クールは見るの少な目にしようと思ってたのですよ。というかシンセ作りは目と脳みそへの負荷が大きいから、アニメを見るのがあまり気分転換になってくれない。というか、興味の重心がシンセ自作に傾いてるのだから、その分アニメへの関心は薄らぎますわね当然。
なのに★今クールはいつもより若干多めの本数を見てしまった。ばかだなあおれ。余暇の時間のほぼ全てをシンセ作りに費やしてるのだが、あくまでも「ほぼ」全てなのだ100%ではないのだ。ともかくいつもの通り、見た作品を一覧にして、気持ちを〆て春クールに臨むぜ、ぶおんぶおおおおん♪
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ハルチカ〜ハルタとチカは青春する〜
石膏ボーイズ
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無彩限のファントム・ワールド
蒼の彼方のフォーリズム
この男子、魔法がお仕事です。
魔法少女なんてもういいですから
だがしかし
僕だけがいない街
紅殻のパンドラ -GHOST URN-
SUSHI POLICE
彼女と彼女の猫 -Everything Flows-
旅街レイトショー
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昭和元禄落語心中
この素晴らしい世界に祝福を!
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突出して面白いのはハルチカと石ボ。あとは「案外悪くない」とか「最初すごく良かったのに急降下」とか「面白いに違いないんだけど、でっていう」とかとか。
全体的に、どれもそれなりに面白いという点では平均点は高いんだけど、なんかぱっとしないクールだったかな。
でも「ハルチカ」はすごく良いと思います。浅味で地味な作品、だよね?基本、ずっと日常芝居だし。だけどそれを描く演出と作画が、簡潔だけど手抜きがない。地道で根気のいる仕事っぷりではなかろうか。それで1クール経ってみると、明確なメッセージが一つ浮かび上がってくる。
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今クール、↓これやってたんですね。
Dimension W -TVアニメ公式サイト
監督が俺修羅の亀井氏でした、っていうのに気付かず見逃してしまいましたよ。いや事前に↑のサイトは見たのだけど、今どき珍しい畳屋の職人がルパンを気取ってる風情。あっさりぱすですた。これ大失敗。早急に再放送されることを切に希望いたします。
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クール半ばまで見たのが2作品ありますので短評を。
ブブキ・ブランキ -TVアニメ公式サイト
エヴァ風味の合体ロボ。なんと申してよいものやら。ロボの巨大感がけっこういけてたという点で、作画は良かった。なので最後まで見れたら良かったんだけど、台本が陳腐すぎて8話で断念。それでも8話までは付き合ったのだよ。
ラクエンロジック -TVアニメ公式サイト
動画工房は作画が良いからなるたけ見たいのだけど、こないだのプラメモも
プラスティック・メモリーズ -TVアニメ公式サイト
今度のも、早々に離脱しました。作監はそれぞれ別の人だけど、色彩設計はどちらも石黒けい氏で、プラメモの時はキー色のピンク、というよりやや蛍光っぽいカーマインが、とても良いと思った。ラクロジはそれが拡張し、商品縛りの緑ともよくはまってた。こういうのすごく良いと思うのだけど、台本が残念すぎて云々
冒頭のショート・アニメ、ちゅどーん☆のコーナーだけは視聴継続してるのですよw
私は(棒)を支持します。悪い意味じゃないよ断じてだ。こっちの配色もすごく良いし。
とっても今更なんですが、艦これアニメもこのノリで良かったのかもね。艦これカドゲもあるみたいだし、今からでも遅くないから再チャレンジしてみてはいかがでしょうか。
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さて、ここから先は各作品ごとの感想・短評なのですが、全て、2016年の6月以降に書いたものです。つまり冬クールの次の春クールを見終えてからのものです。
当初、冬クールの個別の感想文は書かないつもりでしたが、春のを書いてるうちに、冬のも書いた方が都合よく思われてきて。なので、冬クールの感想文だけど春の作品と比べて云々してる箇所が少し混ざってます。
ラクロジへの短評までは3/26に書いたままですが、14作品の並び順だけは変えてます。あとからじわじわくる系ってのはあるもので、3カ月だけでも少し時間を置くと、けっこう印象って変わるものですねえ。
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この素晴らしい世界に祝福を!
この素晴らしい世界に祝福を! -TVアニメ公式サイト
2話までは面白かったです。ギャグが、かなりキレてた。2話までは。
今季の一番はこれ!もう「このすば」さえ見れれば他のはいらない、とさえ思った。
って、なんかいつもそんなこと言ってますが。
3話から急に、つまらなくなった。まあきっちり3話からって事じゃなかろうけど、あとから振り返っての大まかな区切り目としては、3話。3話から別の作品になったのかと思うくらいの変化っぷり。笑いを作るのじゃなく、「おふざけ」をやってるべえの残念な、いやむしろアニメではべつにこんなのありがちかなーな凡作へ。
最初が良かったから中盤以降に回復してくれるかもとも思ったけど、ぜんぜんでした。
まあこのテの異世界ものは他にも沢山あるし、もともと私はアニメに笑いは求めてないし。
景観はよく作画されてたと思うのです。のんびり平和な、ごく小規模な地方都市だけど、そよ風に乗って堆肥の臭いがどこからともなく漂ってくるような、まあかなり田舎。という雰囲気がよく出てたと思う。その点も含めて、もったいなかったな、この作品。
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昭和元禄落語心中
昭和元禄落語心中 -TVアニメ公式サイト
私は小学生の頃、落語は好きだったです。テレビで見るだけですが。まあ昔は娯楽の種類が少なかったので。
それと相撲。あとは永谷園のお茶漬けのオマケの浮世絵カードを集めて。この3つが自分にとっての、お江戸な趣味の入口だったですね。演芸番組を見てると三味線の音も聴けますし。
内海桂子 好江 -Youtube検索
三味線漫談の人たちって、なにやらベラベラ喋りながらでも左手でひょひょいとチューニングを直し、そのまま曲に移ってく。小学生の終わり頃にギターを始めたばかりの自分にとっては、それがやたらカッコよく思えてですよ。
「弦楽器とは、ああいう風に扱うもの」
って擦り込まれちゃったですね。だから私はいまだに電子式のチューナーは使わない主義者。演芸番組の影響です。ほんまかいな。
その頃、ってのは1970年代の中盤だけど、その頃一番人気だったのは5代目柳家小さんとか?10代目小三治が若手の筆頭な感じ。でも私が最初に好きになったのは、10代目の金原亭馬生さん。
金原亭馬生 (10代目) -wiki
とはいえ世間一般的に人気あるのは、やはり小さん。あるいは圓楽の「日本むかし話式落語」とか枝雀の「爆笑落語」とか。まあ最初はそういうのも面白かったけど、なんか飽きちゃって。それで段々落語とは疎遠になったけど、1980年代の終わり頃に雷門助六という噺家さんがいるのを知って。
雷門助六-8代目 -wiki
「自分が見たかったのは、こういう落語だ!」
って思っちゃったですね。生で見たくて寄席にも行きました。
雷門助六 八代目 -Youtube検索
馬生さん→助六さんで、自分の中で糸が一筋つながった感じ。なんだけどこうやって思い起こしてみると、ばくおん!!の記事にも書いた事だけど、やはり私の笑いのツボは世間一般的な主流からは外れてるんですかねえ。志ん朝とか、馬生さんの弟だけど、まるで面白くないからね、私的には。
圓楽とか志ん朝の落語は、テレビ向きなのかなとも思います。画面という枠の中で何かしらをやって見せる芸風。日常生活の流れとは無関係な、四角く切り抜かれた時間。
助六さんの芸は、寄席という場の空気全体に働きかける感じ、とでも言いますか。その寄席というのは、外部からピシッと遮断された密閉空間ではなく、なんだかルーズに表通りとつながっていて、その木戸をくぐれば日常の、ありきたりな時間の連続の中ででも、ちょっとだけ良い芸を楽しめるお気楽な娯楽。それこそが落語。
まあ、そういうのは廃れてくばかりだというのは分かります。助六さんは、私が見始めてから何年もしないうちに亡くなられ、その後はもう、私は落語への興味は一切失いました。
いえなに、「昭和元禄落語心中」には助六という名の噺家が出てくるので、ちょっと私個人の思い出を書いてみたまでの事です。リアルの助六さんとマンガのキャラとは、とくに関係はないもよお。
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原作マンガはどうか分からないけど、アニメ版での落語は、これつまりテレビ業界の人が考える落語、テレビに最適化された方の落語なんだろうと思う。んで、噺の背景に、語られてる内容の絵柄や音が足されるのだけど、そうなっちゃったのはもう落語じゃないから、というのが私の落語観なので、この作中で扱われる落語に対しては、はなから評価の対象外でした。
それでも1クールを最後まで見たのは、第一話を見た感じ、着物の作画と三味線の収音がかなり良かったから。
「浴衣回」のあるアニメ作品は多くて、だから着物作画の品質もこの数年でじわじわ向上してると思います。私が最初に良いと思ったのは俺修羅。あとはヤマノススメ2期とかイリヤ3期。
着物の作画ってコスチュームだけじゃなく、リアルの場合、着物を着るとプロポーションの見え方が変わるし挙動も変わる。作法を知ってる人なら、着物の時ならではの動き・仕草をしてみせる。それらをどの程度までアニメに折り込んでくるかが着物作画の見どころで、それが近年なかなか良いわけだけど、「落語心中」の着物作画は、中でもかなり良い方だと思いました。浴衣じゃなくて、それより厚手の着物の話し。
着物というのは洋服と違って、四角い布を縫い合わせたもの。それを身にまとうのは、風呂敷で体を包むようなもの。着物とは基本、体の線を隠すための服です。
なんだけど、着方によっては、あるいは着る人によっては、何故かかえって体の線が生々しく感じられる場合がある。体の線というより、裸体を感じる。といってもそれがモロ透けて見えるのではなく、そういう何かしらが包み込まれてるのが暗示される感覚。それはとても艶めかしい、着物ならではの魅力なのだけど、「落語心中」ではその点がけっこういい感じで作画されてた。
まあ、それがすごく良かったのは第一話だけだったかもですけど。
それと三味線の収音。落語が題材のアニメって、もう何年も前に「じょしらく」があった以来かと思うけど、あの時は、三味線の音ってただ一度、ほんの一瞬使われただけだったはず。しかもそれ、津軽の音だったっていう。
そんな酷いのと比べたってしょうがないけど、でも本作の三味線の音は良かった。やっぱりいいよね三味線。ちょんちょんと鳴らしただけで場の空気が出来上がってしまう。偉大な発明品だよ。
作画に関しては他に、日本家屋独特の、空気がサヤサヤと抜けてく感じ。そういうのもけっこう良く描かれてたと思う。で、ここからがこの作品のアレな点の話しになるのだけど、その、室内作画が良いなあと感じ始めたかどうかってタイミングで、トランペットが鳴り始めちゃったりするんだよね。これガッカリ。でも作ってる側からすると、見どころはそこじゃないって事なのかも。「空気」よりも、劇伴で時間を埋めてく事の方が重要なのかも。
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でまあ話しは進んで第四話。ここで小唄を唄うシーンがあったのだけど、それがとんだ珍味で。
でもそのこと自体はたいした問題じゃないというか、しょうがないというか。現在現役の三味線音楽専門の唄方でも、江戸唄をそれらしく唄える人なんて10人に1人もいるかどうかな現状ですし。
アニメの声優は江戸唄の素人だから、らしくは唄えない、という事でもないんですけどね。こういうのは体質で、すっと出来ちゃう人は出来ちゃうし、そうじゃないひとはなんぼ努力しても無理だっていう。まあ基本、現代人には難しい。例えば「ことば」の発音にしてからが、1970年頃にそれが変化して、そこから更に50年近くが経った現在。だからアニメ声優さんが唄う小唄が珍味なのはしょうがない。スルーでおk。
なんだけど、それを聴いた菊さんが「上手いね」とか言う。これがちょっと、いかがなものかと思ってしまった。すごい違和感。
まあ原作にそういうシーンがあってそういうネームが付けられてるから、アニメはそれをそのままなぞっただけなのかもだけど、セリフを決める立場のスタッフに少しでも聴く耳があれば、「上手いね」の一言の扱いも違ってたろうにと思う。
ああだからつまり、このシーンを見た瞬間私は、このアニメを作ってるスタッフって元々お江戸な趣味とかに興味はない人達なんだなと思ってしまった。まあそりゃそうなんですけどね。いまどき三味線だの小唄だのが好きな人なんて、日本人全体の5%以下?あるいは1%未満?でも、という事は、このアニメでの小唄を聴いてへんだと思う視聴者もほぼ皆無だろうから結果、まあしょうがないし、たいした問題じゃない。私個人的にはずいぶん興ざめした、というだけの話しです。
*)セリフで江戸弁の再現が配慮されてたのは分かりますけど。「ごしいきごべんたつ」等。これは地域的な方言。それに対して唄の中のことばは、いわば時代的・歴史的な方言で、更には唄のための特殊な訛り=唄訛りというのもなにされてあれするものだから云々
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でまあそういうような事があるともう見続けるのも面倒くさくなってしまうのだけど、三味線がちんちん鳴ってるこの作品、自分としてはなるたけ、いや是非とも、「良かった、面白かった」っていう感想で終わって欲しいのですよやはり。
それと、日頃見るのが美少女動物園とか魔法少女ものとか、そんなばっかの私ですから、たまにはこういう真面目っぽい作品も見とかなきゃ、みたいな気持ちもあったりして。
それでなんとかがんばって見続けてたのだけど、クール終盤の8話だったか10話だったかに、とてつもなくダサい劇伴が流れたんですよねえ。上演中の噺家が舞台上でなんかヤバい事になって、心理的に追い詰められてっていう場面、だったと思う。そこに、ピアノの早いアルペジオでdimコードをバラバラバラって弾く曲が付けられてた。まあ記憶曖昧ですが。
そういう場面には、まあありがちなタイプな曲だったのだけど、そのアルペジオの音型が、ありがち王道パターンとは少し違えてあった。それがひどく悪目立ちしてですよ。
いかにもステレオタイプってのとは違うのを狙ったのかも知れないけど、不安・焦燥にdimっていうありきたりさはそのままで、外形だけをちょっと変えただけってのが、知恵が足りないというか浅はかというか。
もともと落語には興味なく、作画だの収音だのといった部分的興味だけで見続けてた作品ですが、この劇伴でとどめを刺されたかっこう。それでも一応最後までは見ましたけど、あの曲にOK出してしまう監督は、ちょっと無神経な人ではなかろうか?そう一旦思い始めると、最初の方の良かったように思えてた点も改めて見直すと、そこここが杜撰だったり凡庸だったりと思われてきて結果、全体的には「手数だけは多い凡作」という印象が確定したです。
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ただ、アニメの監督とは映像作品を作る専門家であって、音楽家ではない。ばくおん!!の感想文に書いた、
「アニメの監督は「笑い」の専門家ではないから、すべってもおk」
と同じ事。アニメは音楽を聴くための場ではないから、曲がへんでもスルーすべき、なのかもね。
しかし一方、劇伴が良いから作品全体の印象も上がってる、という作品はある。これは間違いない。では逆に、劇伴がダメすぎて作品全体の印象が台無しになった作品ってのもあるだろうか?アニメではとくに思いつけないですが、
*)はいふり、紅殻、落語心中の3作について私的には、これらの劇伴がたとえ問題なしなものであったとしても、作品全体的にはけして良作ではなかったろうと思うので、つまり劇伴のせいでダメになったのではないと思ってる。
三次元の映画なら、
黒澤明 「夢」 -Youtube検索
↑俺的ワーストはこれですね。この中のとくに、雪女の件の最後の方。自分これ、封切館で見たのだけど、思わず失笑して「あはは」って声が出そうになった。ちょっとこれはないよーwっていう。
あとはラストの、へんな創作民謡みたいな曲。ヲエエってなっちゃう。
「雛祭」でのセリフに掛けられたリバーブも、センス悪すぎ。
しかしこの作品がなぜ、「劇伴のせいで全体の印象が台無しになってる」と言えるのかというと、封切られた数年後に「夢」がテレビ放映された時、私はそれを音声を切った状態で見てた、という事があったのですね。ちょっと特殊な状況だったのだけど。
音なしで見直した「夢」は、絵作りとかはやはりすごく良いなと思ったんですね。映像だけ見てると、とても良さそうな映画に思える。だからたぶんこの映画、劇伴や音響処理が違ってたら、全体の印象も大きく異なってたに違いない。
「夢」は、映像ポエムの短編オムニバスみたいな映画。つまり全体的なシナリオとかが問題になるような作品ではないから尚更、劇伴次第で大きく印象が違ってた可能性は高いです。
「七人の侍」のラストにも、へんな創作民謡みたいのが流れる。最後の最後で思いっ切りズッコケさせられる。たぶんこれのせいで自分は「七人の侍」を名作だとは思えないのですよ。シナリオの作り込みはすごいので、それを分析して楽しむ参考書みたいな扱いっすね。
あとは「どですかでん」の冒頭のSE。市電の操作音の事だけど、それ聞いた瞬間、この映画はダメだって思っちゃいました。
黒澤明 「どですかでん」 -Youtube検索
原作小説『季節のない街』が大好きな作品だからって事もあったかもですけど。
「乱」の劇伴は武満徹で、これは私は良いと思う。映画全体としては退屈だけど、曲はかっこいい。
黒澤明 「乱」 -Youtube検索
だから、黒澤作品の全ての音がダメという事ではないんですよね。ではどうして「夢」みたいな酷いのが作られてしまうのか?
「乱」の時、監督と武満氏はもめたらしい。それで次作は監督の仕切りを強めた。「夢」を作ってく過程で、もしかしたら現場の多くの人も「この音ないわー」と思ってたかもだけど、自分で仕切る気まんまんの映画の神様に楯突ける人なんて、そういるものじゃなし。それで結果、ああなっちゃった。
とかね。もちろん以上は私のただの想像です。ですがついでだから、「落語心中」の現場にもフィクションを想定してみるなら例えば、監督はあの曲はダメだと思ってたけど、政策的な推しが強くて断れなかった、とか。
まあつまり、監督の仕切りが強すぎても弱すぎてもよろしくないって事ですか?
それどうでしょうね。
深夜アニメに関しては、監督の立場が弱すぎてアレになる事例の方が多いかも。はいふりなんてまさにそれ、ではないかと私は想像してます今のところ。「神輿は軽くてバカがいい」なんて、趣味の悪いジョークだよ。↑↑のフィクションをもう少し膨らませて、ココちゃんの一人芝居で演じてみせて欲しい気分。
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旅街レイトショー
旅街レイトショー -TVアニメ公式サイト
第一話の劇伴のアコーディオン。これ生なのか打ち込みか?それが気になって全話見たのだけど、毎話楽器は違えてあるっていう。
キー・ノイズの入り方が少し不自然に思えたので。生だとしたら、私的にはこの収音はNG。
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彼女と彼女の猫 -Everything Flows-
彼女と彼女の猫 -Everything Flows- -TVアニメ公式サイト
1999年の自主製作アニメーション作品の、テレビ用リメイク。
彼女と彼女の猫 -wiki
伊藤真澄氏の曲が使われてる、という理由で視聴。とくに印象はなし。
1999年のオリジナル版も見てみたけど、こちらもとくに。
何年も経ってから見直したら良いと思えるかも、という気持ちは少しあります。
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SUSHI POLICE
SUSHI POLICE -TVアニメ公式サイト
アボガド寿司とか、なんかもう定番化し始めちゃってるのね。
アボガド寿司 -google検索
私的に、外人さんが考案したヘンタイ寿司の諸々に対しては、もういちいち目くじら立てなくてもいいかなって気持ちになり始めてます。「SUSHI POLICE」を見たせいもあります。見といて良かった。三味線とかむしろ、知られてないのがラッキー・ポジション。
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紅殻のパンドラ -GHOST URN-
紅殻のパンドラ -GHOST URN- TVアニメ公式サイト
「攻殻機動隊 ARISE」のスピンオフ。
児ポ的には何ら問題ないのだが著しくけしからぬ描写が売りのアニメ。
かと思うと健全大将みたいなおまわりさんが出てきたり、地域住民とハートフルに交流したり。
なんだかよく分からない作品でした。ただ、アニメ版は原作を大幅略化してるらしく、更に私は元作品の「攻殻機動隊」は全く知らないという。だから分からなくて当然。というスタンスで見てても、そこそこ楽しめた作品でした。少なくともクール終了直後の頃までは、そう思ってた。
なんだけど、その翌週には次の春クールが始まり、新作をいくつか見て、それが2話3話と進むにつれ、「紅殻」への好印象は急速に薄らぎました。これ不思議。
それから更に4カ月ほど経過した本日7月末現在では、べつに見なくてよかったかもくらいの位置づけまで降下。
私が冬クールに見てた作品は大人し目のが多かったです。「僕だけがいない街」とか落語とかブラバンとか。一応バトルものとかスポ根もあったけど、まほうで戦うのとか(このすば&ファントムワールド)、空を飛びながら背中にタッチするとか(あおかな)。
アクションが高速で、マシンガンをガガガガガ!とぶっ放す系のバトルは、「紅殻」だけだった。だから良く思えたのかな。クール中に最低1作は、そういうのが混ざってて欲しいという事なのかも。
春クールの新作ってのは、ばくおん!!はいふり、クロムクロ、コンレボ、ニンジャスレイヤー等々。ったらやはり、「紅殻」の事なんて忘れちゃうかもですね。
だからってこの作品は駄作だとか、そういう事ではないです。放映中だけでもああ面白かったと思えるなら、取りあえずそれで十分じゃないですか、マンガなんだし。
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「紅殻」の劇伴について;
この作品、私的にはとくべつ面白くはないけど一応最後まで見ておこうと思った理由の一つは、劇伴の良さ。担当したのはTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND。
TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND -wiki
アイキャッチのジングルとかがカッコいい、とまず最初に思い、3話目だったかくらいになってから増えてきた日常シーンに付ける曲も良いと思った。バトルのも。
ただこの作品、話しの流れからすると最後に大規模バトルで〆るのは間違いなく、しかしそれ用の劇伴がTPGFの作風で大丈夫だろうか?一体どうするつもりだろうと思ってたら、やっぱり大丈夫じゃなかったっていう。
一応、バトル規模の大きさに合わせようとしてたのは分かるのだけど、そのために加えた要素がクワイアっていうのがなんとも興ざめで。
とはいえ元々がそれほど楽しめなかろうという予測で見てた作品だから、すごくガッカリしたとかいう事はないです。ただ、作った側はあれでOKだと判断してるわけですよね?それともあーあダメだと思いながら放映してるのでしょうか。その点は少々腑に落ちないです。
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僕だけがいない街
僕だけがいない街 -TVアニメ公式サイト
過去に受けた心の傷と、どう向き合うか。それをどう克服するか、あるいは克服できずにアレになるか等々は、マンガ類の重要な題材です。
*)マンガだけじゃないですけど。
現在目の前にある課題を克服する事で、過去の傷をも克服しようとするのは健全マンガ。それに成功すれば大勝利マンガ。
しかし、過去の傷を現在で、という対応関係ではなく、舞台を遠い未来や異世界に移し替えて、とか、過去の傷を過去に戻って解決しようとする設定の物語もある。
とても沢山ある。
そういうのはどれも空想物語です・・・って、大勝利マンガだって大抵は絵空事ですけど、未来や過去に行けちゃうのは明らかにSFとかファンタジー。完全な絵空事。しかしだからこそこのジャンルでは「たられば」の可能性と多様性も思う存分に展開可能。だから物語作者たちは競ってここで、各々の妄想の翼を広げ羽ばたかせ、己が知力の及ぶ限りの云々
ですが、過去に戻るパターンに関して、とくに、タイムマシンに乗って過去に戻って、過去の出来事を改変しようとするタイプの物語に対しては昔から一つのルールというか、暗黙の了解事項みたいなものがありますよね。つまりタイム・パラドックスの問題。
タイムトラベル -wiki
時間旅行者は絶対に過去を改変してはいけない、っていう縛りの厳しいのもあるけど、ちょっとくらいならOKというのもある。あるいは、改変するとパラレルワールドに分岐しちゃうとか。まあ色々ですけど、ともかく何らかの形で、現在と過去の対応関係の辻褄を合わせないと、SFとしては二流、インチキと見なされる。それが物語業界のルール。
と私は思ってたんだけど、最近のSFは、けっこう好き勝手に過去を改変しちゃうんですか?というのが、「僕だけがいない街」を見始めて間もない時点での感想。こんなんでいいのだろうか、と思う私はアタマ古いんだろうか。それでもいろいろ考えてみた。
a. 近年のSF業界は煮詰ってネタ枯れだから、タイムパラドクスは気にせずともOKになった。
b. それとも「僕だけがいない街」は、このルールを破ろうとする先駆的前衛的な作品なのである。
c. ではなくてこの作品、絵柄的にはあまりSFっぽくないため、SF扱いされてない、という立場を利用して、タイムパラドクスのルールを小狡く破ってるにすぎないのではなかろうか。
等々
なんにせよ「僕だけがいない街」の原作は既に高評価されてる有名作のもよお。という事は大勢の人に読まれてる。という事はたぶん、SFファンにも読まれてる。そしてそっち方面からの突込みにも耐えられてる、のなら、SFとしての辻褄も合ってるのだろう。しかし一体どういう仕掛で?それはぜひ知りたいものです。
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すみません、ここから先はネタバレの度合いが高まりますので、この作品を未読未視聴の方は読んじゃダメです。↓のリンクを押すと当ページ内の前項・次項へジャンプできます。
だがしかし
紅殻のパンドラ -GHOST URN-
私的評価だけを先に書いておくと;
SF的推理ものとしての面白さは、中の下。ただそれはアニメ版に対しての評価で、原作コミックとアニメ版とでは終結部が違うらしい。私はアニメ版しか知らず、それに対する評価は中の下だという事です。
アニメ作品としてはただ一点、舞台が小学校に移る、その最初のシーンだけは良かった。アニメならではの良さだと思いました。
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さてでは、この作品でのタイムパラドクスの辻褄の合わせ方に対する私の解釈を書きます。あくまでも、私はこう理解してる、という事にすぎませんが;
主人公の藤沼悟君・小学5年生は超能力の持ち主なんだけど、それはタイムトラベル=時間移動ではなく、未来予知です。
今現在の自分の行動次第で、未来の状態は何通りにも変化する。その分岐する未来像の数パターンを極めて正確に予知できる。
ただこれ、悟君の脳内に未来のビジョンがホワンと現れる的な予知ではなく、全身体験型VR(バーチャルリアル)の超高性能版みたいな、つまり29歳になった時点の予知なら、もう完全にその年齢になった自分自身の体験として、その時点で起こる出来事の当事者として、その未来のビジョンを体験してる。
リアルすぎて、それが予知ビジョンである事に本人も気付けない。
だから悟君自身は、自分はタイムトラベラーだと思ってる。
そこで、この物語で起こる出来事を時系列順に並べ直すと、
1. 藤沼悟君、小5の時に、あるいはその以前に、なぜか上述の予知能力を得る。
2. 犯罪の発生を察知し、阻止しようとする。
3. しかし力及ばず半死。植物人間状態に。
4. 15年後に目覚め、犯人逮捕。
これが時系列通りのあらすじ。だけどこのままマンガ化しても面白くないので、作者は時系列を組み替えた。つまり、悟君が予知してるビジョンを今現在の事として扱う形で、物語をスタート。
つまりアニメ第一話での、ピザの宅配をしてる悟とは、1988年現在の悟が見てる予知ビジョンだという事。
すると読者は、悟君はタイムトラベラーだと誤解する。しかしそれではいろいろ辻褄が合わなくなるので、だからこそ謎解きへの興味も強まり、面白いと感じてもらえる。
つまりこの作品、推理ものとしては、広い意味での叙述トリック型ですね。
叙述トリック -wiki
*)広い意味での、かどうかはちょっと不明。普通の意味で、こういうのを叙述トリックと呼ぶのかも。私は推理ものは門外漢なので自信なし。
物語の初めに、狭い時間幅での時間移動のエピソードを見せますけど、これは読者をミスリードに誘うための仕掛けでした。と私は解釈してます。
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という事でこの作品、タイムパラドクスに違反してるのかと思ったら、そもそも時間移動はしてない、というのがオチでした。上手いこと騙されちゃいました。なかなか面白かったです。ただ、推理もの・謎解きものとしての私の評価は中の下。何故かというと、最終話で犯人が逮捕される、そこで決定的に作用するのは犯人の心理・心情。これが私的にはかなり拍子抜け。
ここまで引っ張っておいて、最後はそれかYO!っていう。
だけどこの点、アニメ版と原作とでは違うらしいので、アニメ版に限り、私的評価は中の下という事です。
この作品に対して、謎解き以外の点でも面白いとか好きとか思える点があれば原作コミックを読むかもだけど、それはないです。何故かというと、この作品のトリックは、時系列を一か所組み替えるだけでミスリードを誘う、シンプルで効果が大きいアイデアだと思うのだけど、やはりそれだけでは面白くならない=読者の興味を惹けない。トリックがバレやす過ぎるかもしれない。なのでその点を補強するため、色々な要素を足してある。色々っていうか主に2つですが。
1. 児童虐待および児童性的虐待
2. 人生詰んでるオッサンが、子供に戻ってやり直したいファンタジー
謎解きとは別にこの2点の展開を追うだけでも興味持てますし、推理ものとかSFに縁のない読者層を呼び込めもします。
ただ児童虐待の扱いに関して、何話目かで雛月加代の件が一段落する、その解決法が原因排除型で、これちょっと、水戸黄門みたいとまでは言わないけど、やはり少々安易かなと思う。
この作品、実はSFとか謎解きとかより児童虐待の方が重要で、この扱いにくい問題を面白いSFに絡めて訴えるのが作者の真意なのかも、とも思いながら見てるわけですよ。でも上記の件(くだり)を見て、やはりそうではなく、この作品での児童虐待問題は作品に深刻っぽい雰囲気を与えるための付加要素でしかなかったんだなと思ってしまった。見せかけシリアスですね。
2.のオッサンファンタジーに関してはこれ、最終的には超能力持ちがリア充化する展開で、共感できる要素がまるでない〆方。
ただほんと、原作とアニメとでは細部の諸々が違うかもで、その結果全体の印象は大きく違うのかも。それを確かめるために原作も読むべきかもだけど、叙述トリックに関しては十分面白いし、これ以上は掘り下げなくてもいいかなという印象です。
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アニメ版ならではの良さは1点。小学校時代に戻った最初のシーン。これ、人生やり直したいファンタジーに関わる事でもあるのだけど;
例えば仮に、自分が寝てて夢を見たとする。小学校時代に戻ってる夢を。
とてもリアルで正確な夢。本当に、5年生の時の2月某日。その日その時の状態がありのままに再現され、5年生の自分が、そこにいる。
という夢を見たとしたら、こんな気分なんだろうな、
と思いながら、その、小学校時代に戻った最初のシーンを見てました。奇妙なリアルさと、なんか気持ちがホカホカしてくる感じ。センチメンタルなものです。
「僕だけがいない街」は実写映画版も作られたみたいだけど、たぶんこのシーン、実写ではけして、アニメで得られたような気持ちは生じないと思う。
なぜなら、アニメの絵はマンガの絵。マンガの絵は、多かれ少なかれ記号的。具体性が乏しい。
だがそれがいい。
私が通ってた学校とアニメの中の学校とでは、校舎の形も窓から見た景色もぜんぜん違うし、もちろん人物の顔かたちも違うのに、それでも奇妙なリアルさが生じたのは、記号の持つ普遍性ゆえだと思います。
実写映画は、画面内の全てが具体物なので、こういう心理は生じないだろうと思う。シーンの連なりの中で小学校が出てきたら、ああ小学校の場面に切り替わったのだなと了解されるだけ。
まあそれがホントかどうかを確かめたいなら実写版「僕だけが」を見ればって話しかもですけど、私の場合、少なくとも近年の日本で作られた三次元ものを見るという事はまず絶対にないので。劇場版でもテレビでも。
それにアニメの方にしたって、そのシーンをもう一度見ても同じ気持ちになるとも思えない。これはほんの一瞬、一度きりの経験でした。でもそれは、なかなか良いものだったです。
実は自分、高校時代に戻ってる夢は時々見るのです。高校っていうか、その前後数年間での知り合いがごちゃ混ぜに出てくる、でもそこは高校だという設定になってるデタラメな夢。まあ夢なんで。
小学校に戻る夢は見たことないですけど、でもそういうのを見たら、こんな気持ちになるのかも、という事をちょっと思えただけでも、なんか良かったです。
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なお、この作品は時間移動ものではない、というのが私の解釈なのだけど、それが正解かどうかは分かりません。そして、それを確かめるにはアニメを再度ちゃんと見るとか原作を読むとかしなきゃなんだけど、申し訳ないのだけど、私はそうするつもりはありません。
私にとって重要なのは、好き勝手に時間移動してるように見えて、実はちゃんと辻褄は合ってる、そういう物語を組み立てるのも可能なアイディアがあり得るんだなと分かった事。
「僕だけが」という作品がそのアイディアを利用してるのかどうか、つまりこの作品では時間移動してない、という私の解釈が正解かどうかは、わりとどうでもいい事なのです。
もし「僕だけが」の作者が、この作品を時間移動ありの設定で作ってるのだとしたら、それはSFとしては自由奔放すぎだろうと思うけど、まあそれも、自分はとくにSFファンなのでもなく、SFのルールを崩すのが絶対ダメとも思わないので。涼宮ハルヒのシリーズなんてああなのですし、そして私はハルヒは好きですし。
最後の大団円がウルトラ・ハッピー仕様で、あまりにも空々しい、という気はする。となると、実はこれも偽りのビジョンなのかとも思われてくる。上げて落とすは定番。再び世界が崩れ小学生からやり直す第二期キターな展開も可能。
それはそれで白々しいですが。
原作コミックは単行本8巻で完結してて、も少ししたら補足の数冊が出されるらしい。そっちも読めば、時間移動云々の件もはっきりするのかも知れません。二期目とか、そういうのはないと思われます。
原作コミックでは7~8巻が、悟君が蘇生して以降の件(くだり)に相当するもよお。
アマゾンのカスタマレビューは五つ星が多く、そこから星1つに向けて減ってく順当な配分だけど、星3つくらいの人でも、実はあまり良く思ってない風の感想が目立ちますから全体では、少なくとも1/3くらいの人は、7巻以降には失望させられたもよお。
あくまでも、アマゾンにレビューを書いた人の中での割合という事ですが。
最終8巻のレビューになると、
・この作品は売り手の戦略で作られたヒット作にすぎない、とか、
・これより面白い作品は他にもあるのに、なんでこんなに高評価?
とかまで書かれてしまう有様。
まあ、そう言いたくなる気持ちも分かります。ただ、ちょっと考えてみて欲しい。
「僕だけ」より面白い作品が他にあると知ってる人は、なぜそれを知ってるのか?なぜそれを、知る事ができたのか?
「僕だけ」よりも面白いのに、「僕だけ」ほど有名ではない。という事はつまり、あまり売れてない。それでも辛うじて世の中に出回り、少数の人からだけだけど、読まれ支持されてる作品もある。
出版社側からすると、そういうたいして売れてもない作品から利益は生じてない。むしろギリとんとん。下手すると赤字。なのにそれでも読者の目に触れる状態にはなってる。それが可能なのは何故か?
答え;
大ヒット作から得られる大きな利益で、細かい赤字を穴埋めできるから。
出版社の品揃えは、ミソもクソも一緒くた。どんなのが売れるか予想なんて出来ないから、取りあえず何でも出してみる。でまあ大抵は赤字。でもたまにマグレ当たりでヒット作が生まれ、それまでの赤字を帳消しにできる。
というのは、少なくとも昭和の頃までの出版業界の商売にはそういう一面があったという話しで、今はどうか知りません。赤字だった本の中にも優れた、面白い本も少しは含まれていて、それらが世に出回るのも、たまにヒット作があるおかげ。
一方ヒット作というのは、普段はあまり本なんて読まない人でも買う本、なのでもある。だから、今まで何冊も読んできた人とか専門的な知識を求めてる人とかからすると、ヒット作は薄味で、一体どこが面白いんだかと思うような内容である場合も多い。
だがそれはそれでいい。
ヒット作って、売れさえすればいいもの、とまで言い切ってしまうのは流石にアレだけど、まあともかくありがたいものです。ヒット作があればこそ、どこの誰が読むとも知れぬようなどマイナーの、へんなマンガでも、我々はそれを手に出来る。
いつの頃からか出版業界は出たとこ勝負を避け、「戦略」で本を売るようになった。それもしょうがないでしょう。本を読む人は年々減り続けてます。マンガなんて、もうどちらかというとマイナーな趣味。それでも売る側の仕掛けに乗って時々は買ってみようという人はまだいるわけで。
とはいえ、つまらない作品に対してはつまらないと明言するのも大切で、「僕だけ」に関しては、数年前から読み続けてたのに最後でガッカリさせられた、という人が少なからずいる。それはやはりちょっとマズかったかなと思う。
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だがしかし
だがしかし -TVアニメ公式サイト
この作品のOP曲、私的には完全にパス。なのでそこは毎話スキップ。それでなんとなく本編も流し見で、全体的な印象も薄かった感じ。元々まめち並べ型というか、いろいろ知って楽しい系のアニメは面白くないと思ってる、という事もありますし。
EDの方は良かったです。まあごく当たり前のものだけど、アリスinダガシーランド。これしかないという組み合わせ。
それにしても、あの踊りは何だったのか。どっから出てきたあのチョイス?それが気になって、つい毎週見てしまったかっこう。竹達さんがこのところ歌謡曲風路線でナニしてるって事もあろうけど、wikiを見たら、枝垂ほたるは、
読者それぞれのイメージで見てもらいたい」という理由で、年齢は不詳となっている
って書いてあった。という事はつまりほたるさんの御年は少なくとも、あの踊りが盛んに踊られてた時空までの振れ幅はある、という事のもよお。私的には、ヨウさんとタメかなと思ってます。いや、なるたけ自分に近く引き寄せた方がちょっとは余分に楽しめるかと思って、無理にでもそう考えてみるテスト。
だがしかし -wiki
EDに続いての次週予告も、サヤ氏とのやり取りがテンポ小気味よく、本編よりこっちの方が面白かった。っていうか本編もこのノリだったら良かったのに。ショート・アニメで収まっちゃいますけどね。
30分アニメの1話は正味約20分だから、駄菓子ネタ2品分に要するのが約5分とすると、残りの約15分を、原作にはないアニメ独自要素で埋めなきゃならない。つまり、まめちマンガをアニメ化するなら、それくらいの大改造をするか、じゃなきゃ3分枠にしとくべきって話しかもです。
ああでもこれ、駄菓子には何の思い入れもない私の感想なので。もしかしたら駄菓子ファンの方々にとっては良作なのかも知れません。けして杜撰でも投げやりでもなく、丁寧に作られた作品だったとは思います。
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魔法少女なんてもういいですから
魔法少女なんてもういいですから -TVアニメ公式サイト
「ヤマノススメ」の作画スタッフ、嶋田和晃氏がキャラデザ総作監。
ヤマノススメとはぜんぜん違うような似てるような、不思議な感覚。すっきりしてクセが無い感じ。言い換えると、とくに印象には残らない。でも、2期とかあれば見ますけど。
OP曲が好き。サーカス音楽のレプリカ。
魔法少女なんてもういいですから op
フルで聴くの禁止、などと言ってはいけないかもだけど、40秒枠ならではのなにですかねえ。
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この男子、魔法がお仕事です。
この男子、魔法がお仕事です。 -TVアニメ公式サイト
この作品の監督については↓を参照;
山本蒼美 -wiki
作画関係は全部一人作業のもよお。自主アニメでは珍しい事じゃないかもだけど、そういうのを地上波で見れちゃうウルトラスーパーアニメタイムって、良い企画だったと思います。
ULTRA SUPER ANIME TIME -wiki
私的な当たり作は;
・石膏ボーイズ
・ミス・モノクローム
・宇宙パトロールルル子
そして「このだん」。
アニメや映画は大勢の共同作業で作られるもの。基本それは良い事だけど、たまには作家性の強い、濃い味のアニメも見たいよね。2010年より以前の私はアニメを見ませんでしたけど、ユーリ・ノルシュテインだけは好きだった。
ユーリ・ノルシュテイン -wiki
以前は好きだったけど、いま見たらどうかな。初めて見た時は、こういうアニメもあるんだって驚いたものです。そういう気持ちにさせてくれる作品、これから先も出てくる可能性はあるんだって、そう思わせてくれた「このだん」でした。
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蒼の彼方のフォーリズム
蒼の彼方のフォーリズム -TVアニメ公式サイト
次のクールに何を見ようかと探す時、私はたいてい、まとめサイトの一覧表をざっと見るだけ。タイトルKVあらすじスタッフを一通り確認して、それで決める。PVを見たりはしません。
なんだけど本作あおかなだけは何故か、PV見たんです。あらすじ等に興味は持てないけど、一応公式サイトは見ておこうかなという気まぐれを起こし、PVもついでに見た。という流れだったかも。
そしたら、PVにちょっとだけ入ってる飛行中の作画が、わりと良さそうに思えたのですね。サイト内のちっこいPV画面で見た限りでは、けっこう飛べてる感じがする。じゃあこれ見とこうかと。
でまあ実際は、たいした事なかった。なんだ普通じゃん、というのは2話目くらいで明らかになり。しかしシリーズ構成は吉田玲子氏で、物語の先行きに何となくでも期待を持たせてくれるのは流石というか。なので視聴継続。結局最後まで見てしまった。でまあ物語的にもとくべつ面白くはなかったのだけど、その間ずっと、なんで飛ぶ作画って飛んでる感じがしないのかなって、画面を眺めながらそれをずっと考えてました。
アニメで表現しにくいのは大きさ・重さ・熱。これアニメの3大難物。というのはこのブログで何度も書いた事ですけど、実はアニメで表しにくいものは、他にもまだまだ沢山ある。その一つが飛行。飛び作画ですね。
大きさ等についてと同じ事だけど、飛んでるよっていう「説明」は、アニメでも出来てる。でもその「感じ」。実感みたいなもの。それは、画面を見てても生じない。
ただ、宮崎アニメの宅急便とか紅豚は高評価されてますから、これらの作品内での飛び作画は良いのかも知れない。私は見てないんです。でもトトロは見てて、そこから類推すると宅急便の飛行なんて、たぶんかなり良いんじゃないかと思う。
ただ、テレビ放映されるアニメを見てる限りでは、飛んでる感じがしない方が多数。という事は、上手くできてる作品が今までにいくつかあったのだとしても、そのノウハウが定式化されアニメ業界全体で共有される状態にまでは、まだ至ってないとは言えるのだろう。
まあ「飛ぶ」と一言で言っても、その内容は様々なのではありますね。まず、乗り物の有無の違いがあって、現実的かSF的か魔法的か昔話的かの違いがって、また、上昇、滑空、滞空、降下、落下の違いもある。さらに、飛びながら何をするかも色々。これらの全てに対して「実感」を生じさせるための汎用的な技術とか、あるいはコツみたいなのを確立し得るかというと、それはまだ当分無理なように思われます。
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それはさておき、あおかなの飛び作画は何故イマイチなのか?
飛行中、風圧によって生じる髪揺れ・服揺れが省略気味だったのは、しょうがないと思います。それ全部きちんと描いてたら、どんだけお金がかかる事か。
飛行中の距離感が上手く表せてない。これは大きな弱点かなと思う。FCのリングは一辺300mとの事で、それの四方だからかなりデカいと思うのだけど。
大和型戦艦4隻を枡形に並べ、ブリッジ辺りの高さで飛び回ってる感じ。
というイメージでスッキリ理解できるという人は、まあそんなものを思い浮かべてください。ヤマトの全長=263mだから、その更に一回り外周を使う感じ。かなりの距離ですよ。
てまあそういう数値的なナニは置いといても、飛行中のキャラを地上から見上げた際の距離感も、飛んでる側から見た地上の距離感も、あまり描けてなかった。主なフィールドが海上なせいもある。地上を飛んでる方が距離感は表しやすい。ただそうすると多分お金がべらぼう云々
地上との距離感とは、恐怖感の源なのでもあります。歩道橋の高さが、平均5mくらい?これでもそこそこ怖いけど、その倍の10mなら、落ちたら大けが必至。死ぬかも。水泳の飛込競技の一番高いとこが10mで、あれ、見てるだけで滅茶苦茶こわいのですが。
人間にとって、高いのは怖い事。だからこそ、飛ぶ事の意義は、その恐怖を克服し、恐怖から解放される事。だから逆に、飛ぶ事の実感の前提には恐怖が必要。恐怖を生み出すのは高さ。だから、飛んでる側から見た高さの描写が不十分だと、飛んでる感じも生じにくい。飛んでる事というか、飛べた事のヒャッハー感が、生じにくい。
あおかなを見てて思ったことは以上。それで思い出したのだけど、2013年の「はたらく魔王さま!」。
はたらく魔王さま! op -Youtube
OP動画の55秒辺りで、エミリアがビルから飛び降りる絵がありますけど、これは良いよね。OPでの一瞬芸だから本編と比べてどうこうとは言えないけど、でも、飛ぶ事の快感と開放感は、この一瞬で全て表し尽くせてると言えなくもない。本編内の要所仝にこういうのを配するだけでも、作品全体の印象は大きく違ってくるのかもですね。それで、あおかなで一番印象に残ったのは、EDの最後の止め絵だという。
蒼の彼方のフォーリズム ed -Youtube
鐘楼みたいなとこに腰掛けてる二人。かなり怖い。
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色彩設計について;
空の色が、少し緑がかった青だった。商品ロゴは明るい水色だからそれに揃えるのが常道かなと思うけど、そこから少しずらしたですね。これ面白いなと思って。色味自体も良かったし。海の色の反映かな。主人公の髪色との組み合わさり方も良かった。
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無彩限のファントム・ワールド
無彩限のファントム・ワールド -TVアニメ公式サイト
私の場合、けいおん!が深夜アニメへの入口だったから、京都アニメーション社にはがんばって欲しいと思ってる。
が、低迷し迷走する京アニの命運を握り、起死回生の期待を背負い本作に登場したのはブルマー戦士。ずいぶん思い切ったというか吹っ切れたというか、吹っ切れた勢いでどこかに吹っ飛んでいったというか。
相変わらず作画は厚く、よく動く。思わず目を背けてしまうカッコよさ。無駄リアルの本気を見たよ。なんか逆に、
「面白いから、もうちょっとこのままで」
と、遠巻きにでも見守り続けなきゃと思いました。がんばれ京アニ!
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でも「無彩限のファントム・ワールド」は、ここ数年の京アニ作品の中では面白い方だったです。良かった点は2つ。
1. 古典心理学への接近というか回帰というか
物語の初期設定に遺伝子組み換えがどうのとあるし、脳組織のCG画像みたいのが毎話まず最初に映し出されるし、そういう点では近頃主流の脳科学な方面が前面に出されてるのだけど、話しが始まってみると、ユングの集合的無意識がどーたらみたいなことを言い出して。
そのワード、久しぶりに聞きました!みたいな意外性がありましたね。あとは民俗学由来のモチーフがいくつか。
心理学 vs 脳科学について考えてみると;
心理学ってのは似非科学だと私は思ってます。科学の名に値するのは脳科学の方。
心理学 -wiki
脳科学 -wiki
脳科学は最近の成果もいろいろ目覚ましく、感覚器官が捉えた刺激の処理の仕組みを調べる事からスタートし、それが記憶と思考の仕組みを調べる方向に発展し、いずれは感情とか心とかの事も、脳科学がスッキリ説明してくれるのではないかと私は期待してます。
人工知能も最近はすごい。
人工知能 -wiki
こないだコンピュータが囲碁の世界チャンピオンに勝った。こういうのと脳科学の成果とを結び付ければ、いずれ「感情を持ったコンピュータ」というのにお目にかかれるかと。
電源を切ろうとするたび、いやだいやだと泣き喚く雛苺型OS
なんか悟ったような事を言ってのける真紅型OS
みたいのを我々が手にする日も近い、のかも知れない。いやまあそういうのを本気で開発するなら、「感情とは何か?」という問いが、改めて厳しく定義し直されるであろう。私はそこに一番期待してるのですが。
一方、心理学の方は、いろいろ胡散臭いナニとかが増えすぎて、類縁に死生学とかいうのまで派生させたりもして、もはやこれフラワー枠ですね。いずれは廃れ、一時的に流行した疑似科学の一つと見なされるようになるでしょう。なぜそう言えるかというと、昔、錬金術というのがありまして、
錬金術 -wiki
錬金術は、昔は科学の一ジャンルだったです。アイザック・ニュートンは錬金術師なのでもあった。つまり18世紀初頭くらいまでは、錬金術を科学として研究してる人はまだいた。でも今はオカルト扱い。心理学もそれと同じ。遠い未来の子わっぱどもは、
「大昔の人は卑金属が金に変わるとか、人間には心とかいうのがあると思ってた、んですってねーw」
みたいな事を言ってるのでしょーよ。ちょっと腹立たしいが仕方ない。西暦2000年代、人類の文明史はまだ始まったばかりだよ。
アイザック・ニュートンのオカルト研究 -wiki
死生学 -wiki
というわけで私的には、心理学と脳科学とを競わせたら圧倒的に脳科学の勝ち、と思ってます。ただそれは科学に限った話しで、「物語の世界」はまた別。
今のところ脳科学は、物語を面白くしてくれる事には、あまり役には立ってくれそうもありません。例えば幽霊や妖精さんが見えちゃったりするのも脳みその不具合が原因って、はっきり説明しちゃうからね、脳科学って。そんな科学的成果が積み上がるほど、物語の世界は痩せ衰えてく、ような気がする。しかしだからといって心理学の方が良いという事にはならないのだけど、ではそもそも「物語」とは何か?
この問いには無数の答えが既にたくさん出されてますが、ここでの話しに相応しいのは;
物語とは、世界のあり方を説明するための枠組み、あるいは試み。
ですね。科学も同じですけど。「とは何か?」を問う、人間の根源的な脳みその働きが生み出した諸々。古い順に並べると、
物語→心理学→脳科学
で、真ん中に挟まれた心理学は一過性のものとして、いずれは廃れるのだとしても、大昔からある「物語」は、まだ当分しばらくは残り続けるに違いない。そして心理学の成果は「物語」の方に吸収され、これを延命させるくらいの役には立ってくれるかも知れない。実際つまり例えば、ユングの集合的無意識とかって面白い考え方じゃないですか。ものすごく胡散臭いですよ。てゆうかこんなのはフィクションです。しかしだからこそ物語の養分になってもくれるのです。
集合的無意識 -wiki
といわけで、「無彩限のファントム・ワールド」がちょっと面白かった理由の一つはこれ。古典心理学から生まれた何やかやを、物語に組み入れようとしてたっぽい点です。つまり原作レベルでの面白さですね。それが実際どう活かされてたかとか、アニメ的にどうだったかというのはイマイチだったかもだけど、まあこの点に興味を惹かれ、最後までわりと面白く見れました。
2. 神を食らう描写
和泉玲奈は、ファントムを食べて封印する。これに似たのが数年前の「ささみさん」にあって、
ささみさん@がんばらない -TVアニメ公式サイト
私的にささみさんはとても好きな作品なのだけど、その、神を食らう件の扱いだけは残念だった。
「ファントム・ワールド」のは良かったです。滑稽で、しかもややグロい。
ちょっとグロいんだけど、なんか滑稽。
これとても民俗学的。ヌルヌル動くからこそ生じる印象なのでもあって、それは京アニならではのもの。京アニらしいなと思ったです。
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石膏ボーイズ
石膏ボーイズ -TVアニメ公式サイト
アニメのギャグって笑えない。でもアニメのスタッフって笑いの専門家じゃないから、それ当然。べつにかまわない。
ギャグがキレてるシーンを含む作品ってのはわりとあるけど、純然たるギャグ・マンガのアニメ版で面白いのは、ほとんどない。
私が見た中で良かったのは帰宅部。
帰宅部活動記録 -TVアニメ公式サイト
長らくこの1作だけだったのだけど、新たに名作リスト入りしたのが「石膏ボーイズ」。一発ギャグ的に、せいぜい3話くらいまでなら笑わせてもらえるかなと思ってたけど、ショート・アニメとはいえ、1クール持続したのはすごい。
まあ中盤に若干の中だるみ、それはやはり当然あったけど、最後にひと山盛り上げ直した。それもすごいなと思って。
私が好きなギャグ・マンガには一定のパターンがある。という事に気付かせてくれたのは、2014年の夏クールに放映された「てーきゅう」のベストセレクション。
てーきゅう -TVアニメ公式サイト
「てーきゅう」自体は、とくべつ面白いのでもないのですよ。でもそこそこ見れちゃう。なんでかなと思ってたら、人物群のロール配置が「帰宅部」と同じなんですね。そこで改めて、自分が今までに見た中での面白いギャグ・シーンを思い返してみると、概ね全てこれに合致する。これ大発見。
コミックだと、例えば「あずまんが大王」とか名作と思いますけど、
これのアニメ版、つべで数話見ただけですが、それは面白くない。原作4コマをそのまま絵コンテとして用いたような、とても原作に忠実なアニメ化だと思うのだけど、面白くない。
だから、アニメにはアニメに適したギャグのパターンってのがあって、しかしそれはコミックよりは間口が狭いって事のもよお。まあ私にとってはそうだという話しですが。
それで「石膏ボーイズ」も当然「帰宅部」等と同じロール配置なんだけど、それプラス、この作品独自の要素があって、だからこそ1クールもったのかなと思う。
その、私にとっての面白いパターン、ロール配置云々については、一度ちゃんとした記事にまとめなきゃと思ってて、いやそれつまり2014年に「てーきゅう」を見て以来そう思ってるのだけど、今まで放置。そのうち書くと思います。「石膏ボーイズ」についての評も、その時に改めて。
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- テーマ:アニメ・コミック
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:雑文(アニメ・コミック・ライトノベル)
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